longingly8さん
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08年05月08日
テレサ・テン 13回目の命日!佳人薄命 |
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< 野球規則7.05(...
| 日本は軟水、海外は... >
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【テレサ・テン、Teresa Teng】本名: 鄧 麗筠、1953年1月29日‐1995年5月8日
(テレサの願いは、世界が平和で人々が仲良く楽しく暮らせる社会が実現することでした。)
中華圏では、彼女の歌は誰にでも聴かれた。 彼女の、夥しい数の曲はレコード・CD・テープとなって、海賊版を含めれば1億を遙かに超え人々に聴かれた。 全球的10億人民の星となったのである。
一時中国では、諸般の事情により、彼女の歌は禁止され違反者は財産を没収されるという状況下でも、 人々は聞き続けとうとう政府も名誉を回復した。 1989年6月4日に発生した中国共産党政権による反政府活動弾圧・虐殺事件である天安門事件の際には、 香港で行われた民主化デモ弾圧に対する抗議集会に参加、民衆の前で歌を披露し、自ら中華人民共和国の民主化実現を訴えた。
生前、中国天安門広場での100万人コンサートを熱望し準備も進められたが、1989年の天安門事件で中華人民共和国の中国共産党政府に 失望し実際にそれが実現することはなかった。この件が、後のテレサ・テンの人生にとって大きな陰となった。
中国共産党政府による一党独裁を否定したテレサは、1997年7月1日にイギリスから中華人民共和国に 返還・譲渡されることが決まっていた香港を発ち、フランスのパリへ移住した。 1995年5月8日静養のため度々訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳の若さだった。 突然の死は、驚きを持って世界に伝わった。 1990年から同棲関係にあった14歳年下のフランス人、ステファン・ピュエールが最期を看取った。 天安門事件後にテレサがあまりに民主化運動に傾倒したため、中華人民共和国の当局によって暗殺されたとの噂も絶えない。
同月28日に台北で国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰め掛けた。 彼女の棺は中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾での国民的英雄ぶりがうかがえた。
墓所は台北市の北東に位置する台北県金山郷の金宝山にあり、小さな公園のように整備され、本名の一字を取って「筠園」と呼ばれている。 墓前には銅像があり、彼女の歌声が絶えず流されている。
中国大陸で、中国人のために歌う夢を果たせなかった彼女だったが、2003年とうとう、中国上海で彼女の文物展が開催された。 さらに、2004年にはいると、テレビ等でも話題が取り上げられテレサ・テンの中国での名誉は完全に回復された。 没後10年目に当たる2005年5月8日には、日本をはじめとするアジア各国からファン300人ほどが墓所に詰めかけ、 追悼集会を開いて生前のテレサ・テンを偲んだ。
台湾での彼女はあまりにも偉大なので、遺体は火葬されず防腐加工などを施され土葬された。 没後50年は生前の姿であり続ける。なお、台湾でこのような形で眠っているのは、蒋介石、蒋経国、テレサ・テンの三人だけである。 ◇ 中華人民共和国での彼女の人気の高さを物語るエピソードとして、当時、中華人民共和国の国民の間で 「昼は老鄧(鄧小平)のいうことを聞き、夜は小鄧(鄧麗君:テレサ・テン)を聴く」、 「中華人民共和国は二人の鄧(鄧小平と鄧麗君)に支配されている」といったようなジョークが流行っていたことなどを挙げることができる。
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42歳の人生であったが自分を生きた方に思え尊敬する。 長いこと単なるアイドル歌手としてしか見ていなかったが 香港に行った時に彼女のテープが沢山売られているのに驚いた。 この時にアジアでは有名人であることを知った。
私も成すべきことに、命を落す危険性があっても実行すると思う。 よりよくするための過渡期には身の危険を感じることもあろう。 先人の命の上にこの今があり、明日へのために後人も命をかけ働く。 13年前も今もまだ中国は彼女の願っている国にはなってないと思える。 しかし国民レベルでの日中関係は改善されつつある。 が、国内問題として戸籍、格差、報道の自由等まだまだである。
※歴史上の女性で最初に『佳人薄命』とされたのが春秋時代末期の『西施(せいし)』だった。
【雑学】 Q: 年賀状と普通のハガキをどうやって選別しているのか?
A: 年賀はがきと普通の官製はがきを比べてみると、切手にあたる部分の印刷が異なることがわかります。 普通のはがきは4色のオフセット印刷がされており、きれいなカラーで発色しています。
年賀はがきは赤の単色刷りで、よくみると、見劣りする色であることがわかる。 オフセット印刷と単色刷り印刷の違いは機械で見ても一目瞭然なので、自動仕分け装置で簡単に分けられる。
では、文房具屋で買ったはがきを使った場合にはどうかといいますと、この場合は切手で見分けています。 普通の切手には蛍光塗料が塗られています(ブラックライトを当てると光ります)年賀切手には蛍光塗料が塗られていません。
発行検知機を使用すると、年賀切手を貼ったはがきと、普通の切手を貼ったはがきを自動的に仕分けできます。 これでも判別しきれなかった場合は、手作業となります。
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