asakomamさん
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14年10月22日(水)
罠。 |
< かおり。
| 人間関係。 >
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家を出ようと思う。 今の暮らしがあまりに辛いから。
別れた夫の思惑に漸く気づいた。 子どもたちにあたかも本当の振りをして嘘を言い聞かせていた。 反抗期こそあれど、わたしと子どもたちとの関係は概ね良好だった。 特に娘はわたしにべったりでいつも一緒に行動していた。
それがどうだろう、 今ではふたりしてわたしに暴力をふるうようになってしまった。 食事もふたりで食べ、わたしは後からひとりで食べるありさまだ。
気づいたきっかけは、 「あんたらはもう3人で住む必要はないだろ!」と別れた夫が言ったことだ。 要はわたしはもう用無しということ。 子どもたちの戸籍もいつの間にか夫側に書き換えられていた。
家を出て貯金が底をついたら生活保護を申請しようと思う。 わたしに帰るべき家はない。
こうして深夜にパソコンに向かっているわたしの心は虚ろ。 離婚して一生懸命に働いて子育ても頑張ってきたけれど、別れた夫の冷酷な計画に負けてしまった。 息子はわたしとは一切口をきかない。 すれ違う時もこれ見よがしにわたしを避ける。 娘も逐次わたしに命令口調で話す。 子どもたちの幸せを願いじっと堪えてきたけれど、別れた夫には敵わないことがよく分かった。
息子も娘もお金よりも心が大切なんだということが分からないのだ。 離婚前の半年間の別居状態のときはまだ遺児手当がもらえず米が買えないほど困窮していた。 実家に寄ってそっと米を盗んできたこともある。 自家用車も別れた夫に取られてしまい働いていた会社の社用車をお借りしていた。 貧乏だけど子どものためだと思えばこそ耐えることができた。
でも、もういいや。 タイヤがいた10日間は子育てをしているようで充実していた。 まだ自分で餌が食べれない仔だったので3時間おきに病院でもらった餌を小指で口に運んでやった。 やんちゃだけれどお行儀の良い仔だった。 こんなことになるならタイヤを手放さなければよかった。 どうか、ふたりの子が幸せな家庭を築いてくれることを祈って取りあえずは眠ろう。
いったいどういう風に出ていったらいいの?
きょうもみなさんの健康と幸せを祈りつつ。
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