花火は遠くから眺める方が趣が有りますよね。花火が上がって、ちょっと遅れて音が小さく聞こえるなんて、東京じゃ無理ですね。
若かりし頃、東京では明治神宮の花火や、隅田川の花火を見に行くのがトレンドだと信じ込んでいて、巻かれていましたが。 この歳になると、もう少し情緒のある花火が夏の終わりを告げるようで、好みです。 子供の頃から変わらない、普遍的なものの大切さ。身にしみて感じるのが、この花火大会です。
子供の頃は大した花火でなくても、打ちあがった瞬間に何とも言いしれない驚きと感動をして満足していたのに、歳と共に花火に対する姿勢も感動もすっかりと変わってしまいました。 大きな花火が上がる度にこれで一発いくらのお金が飛んでいくのだろうかと風情もへったくれも無いです。 心貧しい証拠でしょうかね。 新たな感動を探す旅にでもでてみるかな? 金も時間も無いから無理か!
確かに、こういう情緒を誘うものにお金を感じたのはやはり、自分でお金を稼ぐようになってからのことでしょうか。 地元スポンサーの花火の大小で、その時々の経済状況までも明確にする、そのひとつのツールが花火。 古代から芸術とお金というのはルネサンス時代からの産物のようですが、悲しいかな、夏の終わりの切なさまで愛塗れる感じです。