さわやか?万ちゃんさん
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18年01月04日(木)
万ちゃん日記 (361)【”維新回天義挙” & ”抹茶ラテ” by "晋作”】〜今回(今年)こそリバウンドしない! |
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【昨日の事&今日起床時の感想】 (今日起床時の体重/体脂肪率/腹囲/昨日の運動 = 測定無し/ウォーキング)
○ 昨日は、第一の故郷へ帰省五日目。 今回の滞在(実質的な)最終日。
在京時の様な内容&ペースでの運動はままならず、コンスタント?な食事も含め、体重は増えていよう。 ただ、帰省時・実家の家族とのコミュニケーション、縁の場所への訪問は、まさに「今「」か出来ない面もある。 帰京後の”再引き締め”を期することにしたい。
☆ 昨日は、正月三日目恒例の、「箱根駅伝」 復路の前半を確認後、 ローカル線で、市内の ”別の街”へ向かう。
第一の故郷の(今の)実家、実は幼稚園の時に、同じ市内で引っ越してきたもの。 従い、第一の故郷(市)での ”生家” は、同じ市内ながら ”別の街”に。(生まれたのは病院だが) 生まれてから数年間を過ごしたところ。
第一の故郷(市)は、本州の端。 今の実家は、「山陰本線」(=単線、非電化)沿い、 面するのは 「響灘」(=日本海に繋がる)。 同じ市内で、生まれた ”別の街” は、「山陽本線」(=複線&新幹線も並行、電化)沿い、 面するのは 「関門海峡」 (=瀬戸内海に繋がる)。
同じ市内でも、JR線が違うと ”田舎”と”都市”の差がある。 市内中心部の高校に入ると、自分を含む 「山陰本線」&「響灘」方面から通う人間は、”田舎者” 扱いされたもの。 実際に、小学生時代までは「蒸気機関車」 が走っていたのだから、、、無理もない。
今回、ほんとうに久しぶりの、 ”別の街” への訪問。 じっくり回るのは、45年ぶり。
この街、同県内の「萩」や「山口」、隣県の「津和野」と比べると知名度低いが、知る人ぞ知る 「城下町」&「歴史の街」。 大化の改新後に長門の国の ”国府” が設置され、源平最終合戦の 「壇ノ浦の戦い」 では、源氏が沖合に本陣を置く。 江戸期には、毛利氏の”支藩”の城下町として繁栄した。
駅を下りると、先ず生家のあった場所へ向かう。 住所と記憶を辿って、その場所とおぼしきところに着く。 低層マンションと駐車場に変わっている。 生家(長屋風)はもはやない。
生家のあった場所を離れ、「城下町」 「歴史の街」の跡&風情を残す、中心エリアに行く。 江戸時代の毛利藩、明治維新などに縁のある、「寺」 「神社」 「邸宅&庭園」、 昔ながらの「侍屋敷長屋」、土塀に挟まれた「小路」、など、色々な ”見どころ” あり。
その中で、鎌倉時代禅宗様式、国宝の「仏殿」がある寺に立ち寄る。 「功山寺」という。 ここ、かの 「奇兵隊」 創設者である『高杉晋作』が、『維新回天義挙』を行った場所。 1864年、後の首相・伊藤俊輔(博文)らと共に、わずか80人で挙兵。 幕府恭順へ向かいつつあった長州藩を、再び ”尊皇” ”討幕”へと引き戻した。
『維新』の全てではないが、この「功山寺」での『回天義挙』が、 維新前夜・初期での、一つの大きな ”契機” ”ターニングポイント”となったことは、間違いない。 『維新』から150年が経った今は、国宝「仏殿」などと共に、『高杉晋作』の『回天義挙』銅像が建つ。
このエリア、「維新マニア」 「歴史ガール(歴女)」を中心に、近年人気が高まっているよう。 「鎌倉」や「金沢」、近隣では「萩」「津和野」などの、有名な門前町・城下町ほどではないが、 「寺社」 「長屋」 「小路」のそばに、小洒落たレストラン、カフェ、雑貨屋が出来ている。
「功山寺」を後にして、輸入雑貨屋を兼ねた 「カフェ」 で一休み。 『晋作』」や「龍馬(←当地とも縁あり)」をモチーフにした、『抹茶ラテ』を飲む。 自分の幼少期と、維新などの歴史に思いをはせながら、、、、美味しかった。
《今日の食事の見込み》 【朝ごはん】ごはん、味噌汁、おせち料理の残り。 【昼ごはん】サンドイッチ 【晩ごはん】ビール、日本酒3合、吉備料理
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