<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rdf:RDF
xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
xmlns:dcterms="http://purl.org/dc/terms/"
xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
xmlns:rss="http://purl.org/rss/1.0/"
xml:lang="ja">
<channel rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/list/gkl3.html">
	<title>芽多忙鰻太郎さんの健康管理ノート【カラダカラ】</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/list/gkl3.html</link>
	<description>健康は一日にして成らず。芽多忙鰻太郎さんの健康管理ノート記録をお届けします。</description>
	<dc:date>Sat, 19 Jul 2008 08:07:59 +0900</dc:date>
	<items>
		<rdf:Seq>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080719_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080718_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080717_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080716_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080715_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080714_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080713_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080712_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080711_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080710_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080709_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080708_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080707_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080706_gkl3.html"/>
						<rdf:li rdf:resource="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080705_gkl3.html"/>
					</rdf:Seq>
	</items>
</channel>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080719_gkl3.html">
	<title>夢想神伝流居合道奥伝</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080719_gkl3.html</link>
	<dc:date>Sat, 19 Jul 2008 08:07:59 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>武士道とは死ぬ事と見付けたり！！どゅふっ...(=^_^=) 。   ♡

【朝ごはん】 家

【昼ごはん】 

【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】 明日２０日は、母の、にしち十四日・初江王の審理。そして娘の２３歳の誕生日。

昨日の居合は、シッチャカメッチャカだったぁ！！修行が足りん！！ノータリン！！




</p>]]></description>
	<pubDate>Sat, 19 Jul 2008 08:07:59 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[武士道とは死ぬ事と見付けたり！！どゅふっ...(=^_^=) 。   ♡<br>
<br>
【朝ごはん】 家<br>
<br>
【昼ごはん】 <br>
<br>
【間食】 <br>
<br>
【晩ごはん】 <br>
<br>
【夜食】 <br>
<br>
【今日の感想】 明日２０日は、母の、にしち十四日・初江王の審理。そして娘の２３歳の誕生日。<br>
<br>
昨日の居合は、シッチャカメッチャカだったぁ！！修行が足りん！！ノータリン！！<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080718_gkl3.html">
	<title>天網恢恢疎而不漏</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080718_gkl3.html</link>
	<dc:date>Sat, 19 Jul 2008 07:39:45 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>【腹筋報告】
一か月前　➜　一ヶ月後　　う～～んあんまり変わらんなぁ！！微妙～

【朝ごはん】 家

【昼ごはん】娘あぱーと 

【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】ボケナス出したし！！身銭削って一文無しだぁ！！ばかちんがぁ！！ 

今日こそ居合に逝ぐどーーーっ！！どりゃぁあああああああぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあーーーーーーーー！！！！！！！！！</p>]]></description>
	<pubDate>Sat, 19 Jul 2008 07:39:45 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[【腹筋報告】<br>
一か月前　➜　一ヶ月後　　う～～んあんまり変わらんなぁ！！微妙～<br>
<br>
【朝ごはん】 家<br>
<br>
【昼ごはん】娘あぱーと <br>
<br>
【間食】 <br>
<br>
【晩ごはん】 <br>
<br>
【夜食】 <br>
<br>
【今日の感想】ボケナス出したし！！身銭削って一文無しだぁ！！ばかちんがぁ！！ <br>
<br>
今日こそ居合に逝ぐどーーーっ！！どりゃぁあああああああぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあーーーーーーーー！！！！！！！！！]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080717_gkl3.html">
	<title>仏説摩訶般若波羅蜜多心経</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080717_gkl3.html</link>
	<dc:date>Fri, 18 Jul 2008 06:05:45 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>私はこのように聞いています。
お釈迦様が大勢の出家した弟子達や菩薩様達と共に王舎城の霊鷲山にいらっしゃった時、
お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。玄奘三蔵訳

【朝ごはん】 娘アパート泊まり

久しぶりに街に出てぇー、どぶ板這いずり回ってキタァ！！ウエーッ二日酔いっぽい！！
半年間、けんか別れしていた、幼馴染が、母の葬式に顔だしたので、許してやったぁ！！
ショウガナイから、３件奢らせてやったバイ！！どひゃひゃひゃひゃひゃひゃｈじゃｙ

【昼ごはん】 娘あぱーと

【間食】 

【晩ごはん】 家

【夜食】 

【今日の感想】 </p>]]></description>
	<pubDate>Fri, 18 Jul 2008 06:05:45 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[私はこのように聞いています。<br>
お釈迦様が大勢の出家した弟子達や菩薩様達と共に王舎城の霊鷲山にいらっしゃった時、<br>
お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。玄奘三蔵訳<br>
<br>
【朝ごはん】 娘アパート泊まり<br>
<br>
久しぶりに街に出てぇー、どぶ板這いずり回ってキタァ！！ウエーッ二日酔いっぽい！！<br>
半年間、けんか別れしていた、幼馴染が、母の葬式に顔だしたので、許してやったぁ！！<br>
ショウガナイから、３件奢らせてやったバイ！！どひゃひゃひゃひゃひゃひゃｈじゃｙ<br>
<br>
【昼ごはん】 娘あぱーと<br>
<br>
【間食】 <br>
<br>
【晩ごはん】 家<br>
<br>
【夜食】 <br>
<br>
【今日の感想】 ]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080716_gkl3.html">
	<title>臨!!・兵!!・闘!!・者!!・皆!!・陳!!・裂!!・在!!・前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080716_gkl3.html</link>
	<dc:date>Wed, 16 Jul 2008 13:33:06 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>「九字護身法」  阿ｱ 毘ﾋﾞ 羅ﾗ 吽ｳﾝ 欠ｹﾝ   裟ｿ 婆ﾜ 呵ｶ ･･････ 兵に臨み闘う者は皆陣烈前に在り

【朝ごはん】 家

デパート逝ってお中元頼んでくんべぇー！！っと。ホゲホゲ

【昼ごはん】 娘アパート

１０時休みにマドロンデいたらぁ！！いきなり関東国税局から電話があって、ビビったぁー！！
最初、またぁ、誰か取引先のシトが、査察に入られたのかと思ったバイ！！やばぁー。

そしたら、消費税払え、っちゅう催促だったバイ！！
「一編に１４０万円は、払える見込みがありません！！」と、正直に言ったらぁ～～～～～～～～～っ

４回月賦にしてくれたぁ〰！！いいシトだぁー。



【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】 あーボケナスとぉー消費税！！アァーッあーあーあーあーあぁー！！　↑　どんぴしゃジャン！！ふーっ

</p>]]></description>
	<pubDate>Wed, 16 Jul 2008 13:33:06 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[「九字護身法」  阿ｱ 毘ﾋﾞ 羅ﾗ 吽ｳﾝ 欠ｹﾝ   裟ｿ 婆ﾜ 呵ｶ ･･････ 兵に臨み闘う者は皆陣烈前に在り<br>
<br>
【朝ごはん】 家<br>
<br>
デパート逝ってお中元頼んでくんべぇー！！っと。ホゲホゲ<br>
<br>
【昼ごはん】 娘アパート<br>
<br>
１０時休みにマドロンデいたらぁ！！いきなり関東国税局から電話があって、ビビったぁー！！<br>
最初、またぁ、誰か取引先のシトが、査察に入られたのかと思ったバイ！！やばぁー。<br>
<br>
そしたら、消費税払え、っちゅう催促だったバイ！！<br>
「一編に１４０万円は、払える見込みがありません！！」と、正直に言ったらぁ～～～～～～～～～っ<br>
<br>
４回月賦にしてくれたぁ〰！！いいシトだぁー。<br>
<br>
<br>
<br>
【間食】 <br>
<br>
【晩ごはん】 <br>
<br>
【夜食】 <br>
<br>
【今日の感想】 あーボケナスとぉー消費税！！アァーッあーあーあーあーあぁー！！　↑　どんぴしゃジャン！！ふーっ<br>
<br>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080715_gkl3.html">
	<title>仁義礼智忠信孝悌</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080715_gkl3.html</link>
	<dc:date>Tue, 15 Jul 2008 23:15:12 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>閻魔大王の裁きは、如何に
一つ積んでは、ははのため二つ積んでは、ちちのため

【朝ごはん】 家

【昼ごはん】 娘アパート

【間食】 

【晩ごはん】 家

【夜食】 

【今日の感想】 </p>]]></description>
	<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 23:15:12 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[閻魔大王の裁きは、如何に<br>
一つ積んでは、ははのため二つ積んでは、ちちのため<br>
<br>
【朝ごはん】 家<br>
<br>
【昼ごはん】 娘アパート<br>
<br>
【間食】 <br>
<br>
【晩ごはん】 家<br>
<br>
【夜食】 <br>
<br>
【今日の感想】 ]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080714_gkl3.html">
	<title>南無諏訪南宮法性上下大明神</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080714_gkl3.html</link>
	<dc:date>Tue, 15 Jul 2008 06:24:17 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>【朝ごはん】 家

【昼ごはん】 娘アパート

【間食】 

【晩ごはん】家 

【夜食】 

【今日の感想】 </p>]]></description>
	<pubDate>Tue, 15 Jul 2008 06:24:17 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[【朝ごはん】 家<br>
<br>
【昼ごはん】 娘アパート<br>
<br>
【間食】 <br>
<br>
【晩ごはん】家 <br>
<br>
【夜食】 <br>
<br>
【今日の感想】 ]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080713_gkl3.html">
	<title>mu</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080713_gkl3.html</link>
	<dc:date>Sun, 13 Jul 2008 20:16:21 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>【今日のできごと】 

【今日の感想】 </p>]]></description>
	<pubDate>Sun, 13 Jul 2008 20:16:21 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[【今日のできごと】 <br>
<br>
【今日の感想】 ]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080712_gkl3.html">
	<title>no title</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080712_gkl3.html</link>
	<dc:date>Mon, 14 Jul 2008 19:32:44 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>　オホクニヌシとヌナカハヒメの間に生まれた。ヤサカトメノミコトを妻とする。風神・水神的性質もあるが、軍神としての信仰が篤い。平安時代の『梁塵秘抄』では「関より東の戦神、鹿島、香取、諏訪の宮」と歌われた。

　記紀の国譲り神話によれば、国を明け渡すように迫ったタケミカヅチに最後まで抵抗したのがタケミナカタである。千引石という巨大な岩を担いで、タケミカヅチの前に登場する。
　もとより、タケミナカタに話し合いをするつもりはなかっただろう。睨み合いは、やがて激しい戦闘へと移る。しかし力の差は歴然であった。タケミカヅチの手は、氷柱や剣先に変化し、タケミナカタを追い込んで行く。タケミナカタは逃げ出すが、執拗に追跡し、信濃国の諏訪湖まで追いつめ遂に服従させたのである。それをオホクニヌシに伝えると、「もはや何も問題はないでしょう。この国を差し上げます」と答えた。ここに国譲り神話は幕を閉じる。
　しかし、諏訪にはこの不名誉な神話とは逆に、タケミナカタが諏訪湖の龍神や、土着神のモリヤノオトドを平定してこの地の支配者となる伝説がある。『諏訪大明神絵詞』など、その武威を強調している資料も多い。
　タケミナカタの軍神としての信仰は、平安時代には全国に広まっていた。神功皇后の新羅遠征、坂上田村麻呂の東征など活躍することになる。神話編纂の際に、藤原氏が氏神のタケミカヅチの武威を高めるために、タケミナカタを利用したと考えれば全てが納得行くだろう。

　軍神以外の性質としては、『日本書紀』持統紀５年（６９１）に、龍田風神と並んで諏訪の神が祀られている。これが最古の記録である。諏訪大社は、古来から風神としても有名だった。かつて諏訪大社には、「風」を祀る官職に「風祝（かぜはふり）」というものがあった。
　『梁塵秘抄』２６２番歌に、信濃諏訪大社が美濃の仲山カナヤマビコ神社という治金に関連した神社の本宮であると歌われている。龍田風神も治金の性質を持っており、タケミナカタも治金の神であったのではないかという説もある。
　中世まで狩猟の神事が行われていたことから、狩猟の神としての信仰もある。様々な信仰を受けるタケミナカタだが、それだけ人気があるという証拠でもある。分社の数は全国に５０００を数える。
</p>]]></description>
	<pubDate>Mon, 14 Jul 2008 19:32:44 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[　オホクニヌシとヌナカハヒメの間に生まれた。ヤサカトメノミコトを妻とする。風神・水神的性質もあるが、軍神としての信仰が篤い。平安時代の『梁塵秘抄』では「関より東の戦神、鹿島、香取、諏訪の宮」と歌われた。<br>
<br>
　記紀の国譲り神話によれば、国を明け渡すように迫ったタケミカヅチに最後まで抵抗したのがタケミナカタである。千引石という巨大な岩を担いで、タケミカヅチの前に登場する。<br>
　もとより、タケミナカタに話し合いをするつもりはなかっただろう。睨み合いは、やがて激しい戦闘へと移る。しかし力の差は歴然であった。タケミカヅチの手は、氷柱や剣先に変化し、タケミナカタを追い込んで行く。タケミナカタは逃げ出すが、執拗に追跡し、信濃国の諏訪湖まで追いつめ遂に服従させたのである。それをオホクニヌシに伝えると、「もはや何も問題はないでしょう。この国を差し上げます」と答えた。ここに国譲り神話は幕を閉じる。<br>
　しかし、諏訪にはこの不名誉な神話とは逆に、タケミナカタが諏訪湖の龍神や、土着神のモリヤノオトドを平定してこの地の支配者となる伝説がある。『諏訪大明神絵詞』など、その武威を強調している資料も多い。<br>
　タケミナカタの軍神としての信仰は、平安時代には全国に広まっていた。神功皇后の新羅遠征、坂上田村麻呂の東征など活躍することになる。神話編纂の際に、藤原氏が氏神のタケミカヅチの武威を高めるために、タケミナカタを利用したと考えれば全てが納得行くだろう。<br>
<br>
　軍神以外の性質としては、『日本書紀』持統紀５年（６９１）に、龍田風神と並んで諏訪の神が祀られている。これが最古の記録である。諏訪大社は、古来から風神としても有名だった。かつて諏訪大社には、「風」を祀る官職に「風祝（かぜはふり）」というものがあった。<br>
　『梁塵秘抄』２６２番歌に、信濃諏訪大社が美濃の仲山カナヤマビコ神社という治金に関連した神社の本宮であると歌われている。龍田風神も治金の性質を持っており、タケミナカタも治金の神であったのではないかという説もある。<br>
　中世まで狩猟の神事が行われていたことから、狩猟の神としての信仰もある。様々な信仰を受けるタケミナカタだが、それだけ人気があるという証拠でもある。分社の数は全国に５０００を数える。<br>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080711_gkl3.html">
	<title>無陰・中陰・有陰</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080711_gkl3.html</link>
	<dc:date>Mon, 14 Jul 2008 20:52:45 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>【今日のできごと】 出がけに父に焼きそばをつくって置いてきた。
三玉入り袋が、五つくらいある。茄子と、玉ねぎが売るほどある。
毎日、焼きそばだ！！

【今日の感想】 

ボンさんが、あちらはムイ、こちらが、ユウイ、その中間が、チュウイと言ったが、漢字がわからない？？

当て字で書いてみた！！

チュウイには、４９日まで、居る処とのこと。</p>]]></description>
	<pubDate>Mon, 14 Jul 2008 20:52:45 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[【今日のできごと】 出がけに父に焼きそばをつくって置いてきた。<br>
三玉入り袋が、五つくらいある。茄子と、玉ねぎが売るほどある。<br>
毎日、焼きそばだ！！<br>
<br>
【今日の感想】 <br>
<br>
ボンさんが、あちらはムイ、こちらが、ユウイ、その中間が、チュウイと言ったが、漢字がわからない？？<br>
<br>
当て字で書いてみた！！<br>
<br>
チュウイには、４９日まで、居る処とのこと。]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080710_gkl3.html">
	<title>滞りなく無事終了しました。</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080710_gkl3.html</link>
	<dc:date>Thu, 10 Jul 2008 20:24:10 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>休業中は、あたたかい励ましのコメント有難う御座いました。
突然のことなので、まだ実感が湧きません。
事務的に、通夜、葬式と流れ作業をして来たような具合です。
取りあえず、仕事が溜まり放題溜まっているし、
ナニよりも、三日も、四日も休んでいては、会社が倒産してしまうワイ！！

と、言う事で、今日から開店です。また、宜しく。(^o^)丿



享年７６歳！！若すぎるかも知れん。
しかし、考えようによっては、これでいいのかも知れん。
呆気なく逝ってしまったが。
この先待っていたのは、アル中と、認知症のドロドロの介護だ！！
子供は、俺と、弟の、男二人。
野郎ばっかじゃ、どうにもならん！！
弟の嫁さんに負担が掛るだけだったのだ。

母ちゃん・・・
</p>]]></description>
	<pubDate>Thu, 10 Jul 2008 20:24:10 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[休業中は、あたたかい励ましのコメント有難う御座いました。<br>
突然のことなので、まだ実感が湧きません。<br>
事務的に、通夜、葬式と流れ作業をして来たような具合です。<br>
取りあえず、仕事が溜まり放題溜まっているし、<br>
ナニよりも、三日も、四日も休んでいては、会社が倒産してしまうワイ！！<br>
<br>
と、言う事で、今日から開店です。また、宜しく。(^o^)丿<br>
<br>
<br>
<br>
享年７６歳！！若すぎるかも知れん。<br>
しかし、考えようによっては、これでいいのかも知れん。<br>
呆気なく逝ってしまったが。<br>
この先待っていたのは、アル中と、認知症のドロドロの介護だ！！<br>
子供は、俺と、弟の、男二人。<br>
野郎ばっかじゃ、どうにもならん！！<br>
弟の嫁さんに負担が掛るだけだったのだ。<br>
<br>
母ちゃん・・・<br>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080709_gkl3.html">
	<title>母を送る</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080709_gkl3.html</link>
	<dc:date>Wed, 9 Jul 2008 05:52:26 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>祇園精舎の鐘の声　諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色　盛者必衰の理を現す</p>]]></description>
	<pubDate>Wed, 9 Jul 2008 05:52:26 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[祇園精舎の鐘の声　諸行無常の響きあり<br>
沙羅双樹の花の色　盛者必衰の理を現す]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080708_gkl3.html">
	<title>no title</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080708_gkl3.html</link>
	<dc:date>Tue, 8 Jul 2008 06:01:18 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p></p>]]></description>
	<pubDate>Tue, 8 Jul 2008 06:01:18 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080707_gkl3.html">
	<title>no title</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080707_gkl3.html</link>
	<dc:date>Mon, 7 Jul 2008 11:13:10 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>お袋様が、身罷ったため少し休業です。</p>]]></description>
	<pubDate>Mon, 7 Jul 2008 11:13:10 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[お袋様が、身罷ったため少し休業です。]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080706_gkl3.html">
	<title>no title</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080706_gkl3.html</link>
	<dc:date>Mon, 14 Jul 2008 19:44:08 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>●武川衆 

戦国大名武田氏の軍編成のなかに、旗本や、地方武将たちにひきいられる被官の同心、武士たち以外に、衆あるいは党と呼ばれる地域ごとにまとまった集団の武士たちがあった。その表現は、必ずしも一定したものではない。ときにかなり自由に「衆」という表現が使われている。たとえば、「軍鑑」などには、衆というのは甘利衆・山県衆・穴山衆・一条衆・小山田衆などのように、軍の編成上、侍大将とその被官の騎馬武者などを呼びならわしている場合がある。
　武川衆は、武河衆とも六河衆とも文書にみえる。その初見は、軍鑑によれば天文十一年（1542）桑原城普請のおり、板垣信形に武川衆を添え御預けなさるとあり、また後に典厩信繁につけられたともある。
　「甲斐国志」は武川衆について、石和五郎信光の末男、六郎信長という者が忠頼の家蹟を継いで一条氏を称し、その子に八郎信経があって、さらにその子一条時信が甲斐守護職に任じられ、この時信に男子十数人があって、武川筋の各村々に分封され、それぞれ在名を名乗って子孫繁栄、のちに武川衆と号したと見えている。
　これを地図のうえから見れば、西から教来石・島原・白須・山高・牧原・青木などの土豪となり、さらに青木氏からは折井・柳沢・山寺氏などが分出している。衆としての結束は、たとえば、柳沢についてみれば、「寛政重修諸家譜」に「永正頃青木氏から分かれた」としているが、「一蓮寺過去帳」に残された永亨五年の合戦戦死者のなかに、すでに柳沢・山寺氏らの名前があり、戦国における武川衆の原形はすでに永亨のころに成立していたようだ。
 
●武川衆の活躍 

　武川衆は、西郡路から諏訪口の武川筋がその警護範囲で、さらに大門峠口につながる棒道もその守備範囲であったようだ。
　ところで、同じ衆のうち米倉や曾雌・曲淵氏などは他から入ってきた氏で、とくに米倉氏の場合、天正十年の時点で棟梁となったが、「国志」は天正壬午のときまで武川衆ではなかったと記している。米倉一党は若彦路・黒坂口の護衛に任じていたようで、そうした面からみて国境警備に堪能な士で、ある時期から武川衆に派出されていて、やがて棟梁となったようだ。
　いずれにしても戦国末期の武川衆は、必ずしも辺境武士団としての割拠性が強いというばかりでなく、同族的な党の性格の上に、新しい氏を合流させて成り立っていたようだ。天正十年および十一年の徳川家康文書の安堵状によれば、以下の十二名の名前が見える。 

　青木尾張守時信　　　柳沢兵庫丞信俊　折井市左衛門次昌　折井長次郎次正
　米倉六郎右衛門信継　米倉左大夫豊継　米倉加左衛門定継　曲淵彦正正吉
　小沢善大夫　　　　　横手源七郎　　　青木弥七信安　　　折井九郎次郎次忠 

かれらは、武川衆一帯に割拠した、いわゆる武川衆の頭目にあたる人々で、青木信時・信安父子、折井次昌と次正・次忠父子、そして米倉信継・豊継父子などが入っているのも、この衆の性格を物語っている。
　なかでも、武川衆のうち実力者であったのは、米倉忠継と折井次昌の二人であった。この二人は「国志」によると、天正十年、勝頼滅亡の際に献策して面々の小屋へ敵を引き入れる謀略をめぐらしたのであったが、勝頼は謀に相違して天目山に落ちて入ってしまったことで、武川衆の者は誰も勝頼の後を慕っていくものがなかった。米倉・折井の二人も家康を頼り、成瀬正一の計らいで遠江の桐山に匿ってもらった。
　こうして、同年六月に織田信長が本能寺に横死すると、無主になった甲斐に家康の命を受けて入った二人は、ただちに武川衆を挙げて、徳川氏に従わせたのである。天正十年七月、家康はこの二人の忠節に対して感状を発給している。 

●武川衆、徳川氏に属す 

　武川衆は家康が新府にあって若神子に陣した北条氏直と対陣した際、大豆生田の砦をうかがい、不意に襲撃して北条方の間者を殺害し、氏直の諜書を獲得して家康に献じた。また、花水坂でも山高宮内・柳沢兵部らは敵の首級をあげる活躍をみせている。
　家康は天正十八年（1590）関東入国以来、武川衆に対して武州鉢形に代替地を与えたが、その後慶長六年、甲斐国内において古の采地を賜り、平岩主計の部下に属さしめた。降って、慶長十二年（1607）、甲斐国主であった徳川義直が尾張に転封になったとき、その後の甲府城は武川十二騎が城番となってこれを勤めた。
　武川衆の一員であった、柳沢氏は、将軍綱吉の時代に至って、大飛躍を遂げることはよくしられている。すなわち、元禄時代の側用人として十五万石の大名にまで昇りつめた、柳沢吉保が大飛躍の人であった。子孫は、大和郡山に移封されて幕末まで存続した。また、米倉氏も、後世、一万五千石の大名に出世している。 

</p>]]></description>
	<pubDate>Mon, 14 Jul 2008 19:44:08 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[●武川衆 <br>
<br>
戦国大名武田氏の軍編成のなかに、旗本や、地方武将たちにひきいられる被官の同心、武士たち以外に、衆あるいは党と呼ばれる地域ごとにまとまった集団の武士たちがあった。その表現は、必ずしも一定したものではない。ときにかなり自由に「衆」という表現が使われている。たとえば、「軍鑑」などには、衆というのは甘利衆・山県衆・穴山衆・一条衆・小山田衆などのように、軍の編成上、侍大将とその被官の騎馬武者などを呼びならわしている場合がある。<br>
　武川衆は、武河衆とも六河衆とも文書にみえる。その初見は、軍鑑によれば天文十一年（1542）桑原城普請のおり、板垣信形に武川衆を添え御預けなさるとあり、また後に典厩信繁につけられたともある。<br>
　「甲斐国志」は武川衆について、石和五郎信光の末男、六郎信長という者が忠頼の家蹟を継いで一条氏を称し、その子に八郎信経があって、さらにその子一条時信が甲斐守護職に任じられ、この時信に男子十数人があって、武川筋の各村々に分封され、それぞれ在名を名乗って子孫繁栄、のちに武川衆と号したと見えている。<br>
　これを地図のうえから見れば、西から教来石・島原・白須・山高・牧原・青木などの土豪となり、さらに青木氏からは折井・柳沢・山寺氏などが分出している。衆としての結束は、たとえば、柳沢についてみれば、「寛政重修諸家譜」に「永正頃青木氏から分かれた」としているが、「一蓮寺過去帳」に残された永亨五年の合戦戦死者のなかに、すでに柳沢・山寺氏らの名前があり、戦国における武川衆の原形はすでに永亨のころに成立していたようだ。<br>
 <br>
●武川衆の活躍 <br>
<br>
　武川衆は、西郡路から諏訪口の武川筋がその警護範囲で、さらに大門峠口につながる棒道もその守備範囲であったようだ。<br>
　ところで、同じ衆のうち米倉や曾雌・曲淵氏などは他から入ってきた氏で、とくに米倉氏の場合、天正十年の時点で棟梁となったが、「国志」は天正壬午のときまで武川衆ではなかったと記している。米倉一党は若彦路・黒坂口の護衛に任じていたようで、そうした面からみて国境警備に堪能な士で、ある時期から武川衆に派出されていて、やがて棟梁となったようだ。<br>
　いずれにしても戦国末期の武川衆は、必ずしも辺境武士団としての割拠性が強いというばかりでなく、同族的な党の性格の上に、新しい氏を合流させて成り立っていたようだ。天正十年および十一年の徳川家康文書の安堵状によれば、以下の十二名の名前が見える。 <br>
<br>
　青木尾張守時信　　　柳沢兵庫丞信俊　折井市左衛門次昌　折井長次郎次正<br>
　米倉六郎右衛門信継　米倉左大夫豊継　米倉加左衛門定継　曲淵彦正正吉<br>
　小沢善大夫　　　　　横手源七郎　　　青木弥七信安　　　折井九郎次郎次忠 <br>
<br>
かれらは、武川衆一帯に割拠した、いわゆる武川衆の頭目にあたる人々で、青木信時・信安父子、折井次昌と次正・次忠父子、そして米倉信継・豊継父子などが入っているのも、この衆の性格を物語っている。<br>
　なかでも、武川衆のうち実力者であったのは、米倉忠継と折井次昌の二人であった。この二人は「国志」によると、天正十年、勝頼滅亡の際に献策して面々の小屋へ敵を引き入れる謀略をめぐらしたのであったが、勝頼は謀に相違して天目山に落ちて入ってしまったことで、武川衆の者は誰も勝頼の後を慕っていくものがなかった。米倉・折井の二人も家康を頼り、成瀬正一の計らいで遠江の桐山に匿ってもらった。<br>
　こうして、同年六月に織田信長が本能寺に横死すると、無主になった甲斐に家康の命を受けて入った二人は、ただちに武川衆を挙げて、徳川氏に従わせたのである。天正十年七月、家康はこの二人の忠節に対して感状を発給している。 <br>
<br>
●武川衆、徳川氏に属す <br>
<br>
　武川衆は家康が新府にあって若神子に陣した北条氏直と対陣した際、大豆生田の砦をうかがい、不意に襲撃して北条方の間者を殺害し、氏直の諜書を獲得して家康に献じた。また、花水坂でも山高宮内・柳沢兵部らは敵の首級をあげる活躍をみせている。<br>
　家康は天正十八年（1590）関東入国以来、武川衆に対して武州鉢形に代替地を与えたが、その後慶長六年、甲斐国内において古の采地を賜り、平岩主計の部下に属さしめた。降って、慶長十二年（1607）、甲斐国主であった徳川義直が尾張に転封になったとき、その後の甲府城は武川十二騎が城番となってこれを勤めた。<br>
　武川衆の一員であった、柳沢氏は、将軍綱吉の時代に至って、大飛躍を遂げることはよくしられている。すなわち、元禄時代の側用人として十五万石の大名にまで昇りつめた、柳沢吉保が大飛躍の人であった。子孫は、大和郡山に移封されて幕末まで存続した。また、米倉氏も、後世、一万五千石の大名に出世している。 <br>
<br>
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080705_gkl3.html">
	<title>ほげ...(=^_^=) ほげ</title>
	<link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080705_gkl3.html</link>
	<dc:date>Sat, 5 Jul 2008 07:24:06 +0900</dc:date>
	<description><![CDATA[<p>【朝ごはん】 家
9:00　打ち合わせ

【昼ごはん】 

【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】 </p>]]></description>
	<pubDate>Sat, 5 Jul 2008 07:24:06 +0900</pubDate>
  <content:encoded><![CDATA[【朝ごはん】 家<br>
9:00　打ち合わせ<br>
<br>
【昼ごはん】 <br>
<br>
【間食】 <br>
<br>
【晩ごはん】 <br>
<br>
【夜食】 <br>
<br>
【今日の感想】 ]]></content:encoded>
</item>
 <textinput rdf:about="">
  <title>夢想神伝流居合道奥伝</title>
  <description>武士道とは死ぬ事と見付けたり！！どゅふっ...(=^_^=) 。   ♡

【朝ごはん】 家

【昼ごはん】 

【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】 明日２０日は、母の、にしち十四日・初江王の審理。そして娘の２３歳の誕生日。

昨日の居合は、シッチャカメッチャカだったぁ！！修行が足りん！！ノータリン！！




</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080719_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>天網恢恢疎而不漏</title>
  <description>【腹筋報告】
一か月前　➜　一ヶ月後　　う～～んあんまり変わらんなぁ！！微妙～

【朝ごはん】 家

【昼ごはん】娘あぱーと 

【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】ボケナス出したし！！身銭削って一文無しだぁ！！ばかちんがぁ！！ 

今日こそ居合に逝ぐどーーーっ！！どりゃぁあああああああぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあーーーーーーーー！！！！！！！！！</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080718_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>仏説摩訶般若波羅蜜多心経</title>
  <description>私はこのように聞いています。
お釈迦様が大勢の出家した弟子達や菩薩様達と共に王舎城の霊鷲山にいらっしゃった時、
お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。玄奘三蔵訳

【朝ごはん】 娘アパート泊まり

久しぶりに街に出てぇー、どぶ板這いずり回ってキタァ！！ウエーッ二日酔いっぽい！！
半年間、けんか別れしていた、幼馴染が、母の葬式に顔だしたので、許してやったぁ！！
ショウガナイから、３件奢らせてやったバイ！！どひゃひゃひゃひゃひゃひゃｈじゃｙ

【昼ごはん】 娘あぱーと

【間食】 

【晩ごはん】 家

【夜食】 

【今日の感想】 </description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080717_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>臨!!・兵!!・闘!!・者!!・皆!!・陳!!・裂!!・在!!・前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!</title>
  <description>「九字護身法」  阿ｱ 毘ﾋﾞ 羅ﾗ 吽ｳﾝ 欠ｹﾝ   裟ｿ 婆ﾜ 呵ｶ ･･････ 兵に臨み闘う者は皆陣烈前に在り

【朝ごはん】 家

デパート逝ってお中元頼んでくんべぇー！！っと。ホゲホゲ

【昼ごはん】 娘アパート

１０時休みにマドロンデいたらぁ！！いきなり関東国税局から電話があって、ビビったぁー！！
最初、またぁ、誰か取引先のシトが、査察に入られたのかと思ったバイ！！やばぁー。

そしたら、消費税払え、っちゅう催促だったバイ！！
「一編に１４０万円は、払える見込みがありません！！」と、正直に言ったらぁ～～～～～～～～～っ

４回月賦にしてくれたぁ〰！！いいシトだぁー。



【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】 あーボケナスとぉー消費税！！アァーッあーあーあーあーあぁー！！　↑　どんぴしゃジャン！！ふーっ

</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080716_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>仁義礼智忠信孝悌</title>
  <description>閻魔大王の裁きは、如何に
一つ積んでは、ははのため二つ積んでは、ちちのため

【朝ごはん】 家

【昼ごはん】 娘アパート

【間食】 

【晩ごはん】 家

【夜食】 

【今日の感想】 </description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080715_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>南無諏訪南宮法性上下大明神</title>
  <description>【朝ごはん】 家

【昼ごはん】 娘アパート

【間食】 

【晩ごはん】家 

【夜食】 

【今日の感想】 </description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080714_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>mu</title>
  <description>【今日のできごと】 

【今日の感想】 </description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080713_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>no title</title>
  <description>　オホクニヌシとヌナカハヒメの間に生まれた。ヤサカトメノミコトを妻とする。風神・水神的性質もあるが、軍神としての信仰が篤い。平安時代の『梁塵秘抄』では「関より東の戦神、鹿島、香取、諏訪の宮」と歌われた。

　記紀の国譲り神話によれば、国を明け渡すように迫ったタケミカヅチに最後まで抵抗したのがタケミナカタである。千引石という巨大な岩を担いで、タケミカヅチの前に登場する。
　もとより、タケミナカタに話し合いをするつもりはなかっただろう。睨み合いは、やがて激しい戦闘へと移る。しかし力の差は歴然であった。タケミカヅチの手は、氷柱や剣先に変化し、タケミナカタを追い込んで行く。タケミナカタは逃げ出すが、執拗に追跡し、信濃国の諏訪湖まで追いつめ遂に服従させたのである。それをオホクニヌシに伝えると、「もはや何も問題はないでしょう。この国を差し上げます」と答えた。ここに国譲り神話は幕を閉じる。
　しかし、諏訪にはこの不名誉な神話とは逆に、タケミナカタが諏訪湖の龍神や、土着神のモリヤノオトドを平定してこの地の支配者となる伝説がある。『諏訪大明神絵詞』など、その武威を強調している資料も多い。
　タケミナカタの軍神としての信仰は、平安時代には全国に広まっていた。神功皇后の新羅遠征、坂上田村麻呂の東征など活躍することになる。神話編纂の際に、藤原氏が氏神のタケミカヅチの武威を高めるために、タケミナカタを利用したと考えれば全てが納得行くだろう。

　軍神以外の性質としては、『日本書紀』持統紀５年（６９１）に、龍田風神と並んで諏訪の神が祀られている。これが最古の記録である。諏訪大社は、古来から風神としても有名だった。かつて諏訪大社には、「風」を祀る官職に「風祝（かぜはふり）」というものがあった。
　『梁塵秘抄』２６２番歌に、信濃諏訪大社が美濃の仲山カナヤマビコ神社という治金に関連した神社の本宮であると歌われている。龍田風神も治金の性質を持っており、タケミナカタも治金の神であったのではないかという説もある。
　中世まで狩猟の神事が行われていたことから、狩猟の神としての信仰もある。様々な信仰を受けるタケミナカタだが、それだけ人気があるという証拠でもある。分社の数は全国に５０００を数える。
</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080712_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>無陰・中陰・有陰</title>
  <description>【今日のできごと】 出がけに父に焼きそばをつくって置いてきた。
三玉入り袋が、五つくらいある。茄子と、玉ねぎが売るほどある。
毎日、焼きそばだ！！

【今日の感想】 

ボンさんが、あちらはムイ、こちらが、ユウイ、その中間が、チュウイと言ったが、漢字がわからない？？

当て字で書いてみた！！

チュウイには、４９日まで、居る処とのこと。</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080711_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>滞りなく無事終了しました。</title>
  <description>休業中は、あたたかい励ましのコメント有難う御座いました。
突然のことなので、まだ実感が湧きません。
事務的に、通夜、葬式と流れ作業をして来たような具合です。
取りあえず、仕事が溜まり放題溜まっているし、
ナニよりも、三日も、四日も休んでいては、会社が倒産してしまうワイ！！

と、言う事で、今日から開店です。また、宜しく。(^o^)丿



享年７６歳！！若すぎるかも知れん。
しかし、考えようによっては、これでいいのかも知れん。
呆気なく逝ってしまったが。
この先待っていたのは、アル中と、認知症のドロドロの介護だ！！
子供は、俺と、弟の、男二人。
野郎ばっかじゃ、どうにもならん！！
弟の嫁さんに負担が掛るだけだったのだ。

母ちゃん・・・
</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080710_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>母を送る</title>
  <description>祇園精舎の鐘の声　諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色　盛者必衰の理を現す</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080709_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>no title</title>
  <description></description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080708_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>no title</title>
  <description>お袋様が、身罷ったため少し休業です。</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080707_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>no title</title>
  <description>●武川衆 

戦国大名武田氏の軍編成のなかに、旗本や、地方武将たちにひきいられる被官の同心、武士たち以外に、衆あるいは党と呼ばれる地域ごとにまとまった集団の武士たちがあった。その表現は、必ずしも一定したものではない。ときにかなり自由に「衆」という表現が使われている。たとえば、「軍鑑」などには、衆というのは甘利衆・山県衆・穴山衆・一条衆・小山田衆などのように、軍の編成上、侍大将とその被官の騎馬武者などを呼びならわしている場合がある。
　武川衆は、武河衆とも六河衆とも文書にみえる。その初見は、軍鑑によれば天文十一年（1542）桑原城普請のおり、板垣信形に武川衆を添え御預けなさるとあり、また後に典厩信繁につけられたともある。
　「甲斐国志」は武川衆について、石和五郎信光の末男、六郎信長という者が忠頼の家蹟を継いで一条氏を称し、その子に八郎信経があって、さらにその子一条時信が甲斐守護職に任じられ、この時信に男子十数人があって、武川筋の各村々に分封され、それぞれ在名を名乗って子孫繁栄、のちに武川衆と号したと見えている。
　これを地図のうえから見れば、西から教来石・島原・白須・山高・牧原・青木などの土豪となり、さらに青木氏からは折井・柳沢・山寺氏などが分出している。衆としての結束は、たとえば、柳沢についてみれば、「寛政重修諸家譜」に「永正頃青木氏から分かれた」としているが、「一蓮寺過去帳」に残された永亨五年の合戦戦死者のなかに、すでに柳沢・山寺氏らの名前があり、戦国における武川衆の原形はすでに永亨のころに成立していたようだ。
 
●武川衆の活躍 

　武川衆は、西郡路から諏訪口の武川筋がその警護範囲で、さらに大門峠口につながる棒道もその守備範囲であったようだ。
　ところで、同じ衆のうち米倉や曾雌・曲淵氏などは他から入ってきた氏で、とくに米倉氏の場合、天正十年の時点で棟梁となったが、「国志」は天正壬午のときまで武川衆ではなかったと記している。米倉一党は若彦路・黒坂口の護衛に任じていたようで、そうした面からみて国境警備に堪能な士で、ある時期から武川衆に派出されていて、やがて棟梁となったようだ。
　いずれにしても戦国末期の武川衆は、必ずしも辺境武士団としての割拠性が強いというばかりでなく、同族的な党の性格の上に、新しい氏を合流させて成り立っていたようだ。天正十年および十一年の徳川家康文書の安堵状によれば、以下の十二名の名前が見える。 

　青木尾張守時信　　　柳沢兵庫丞信俊　折井市左衛門次昌　折井長次郎次正
　米倉六郎右衛門信継　米倉左大夫豊継　米倉加左衛門定継　曲淵彦正正吉
　小沢善大夫　　　　　横手源七郎　　　青木弥七信安　　　折井九郎次郎次忠 

かれらは、武川衆一帯に割拠した、いわゆる武川衆の頭目にあたる人々で、青木信時・信安父子、折井次昌と次正・次忠父子、そして米倉信継・豊継父子などが入っているのも、この衆の性格を物語っている。
　なかでも、武川衆のうち実力者であったのは、米倉忠継と折井次昌の二人であった。この二人は「国志」によると、天正十年、勝頼滅亡の際に献策して面々の小屋へ敵を引き入れる謀略をめぐらしたのであったが、勝頼は謀に相違して天目山に落ちて入ってしまったことで、武川衆の者は誰も勝頼の後を慕っていくものがなかった。米倉・折井の二人も家康を頼り、成瀬正一の計らいで遠江の桐山に匿ってもらった。
　こうして、同年六月に織田信長が本能寺に横死すると、無主になった甲斐に家康の命を受けて入った二人は、ただちに武川衆を挙げて、徳川氏に従わせたのである。天正十年七月、家康はこの二人の忠節に対して感状を発給している。 

●武川衆、徳川氏に属す 

　武川衆は家康が新府にあって若神子に陣した北条氏直と対陣した際、大豆生田の砦をうかがい、不意に襲撃して北条方の間者を殺害し、氏直の諜書を獲得して家康に献じた。また、花水坂でも山高宮内・柳沢兵部らは敵の首級をあげる活躍をみせている。
　家康は天正十八年（1590）関東入国以来、武川衆に対して武州鉢形に代替地を与えたが、その後慶長六年、甲斐国内において古の采地を賜り、平岩主計の部下に属さしめた。降って、慶長十二年（1607）、甲斐国主であった徳川義直が尾張に転封になったとき、その後の甲府城は武川十二騎が城番となってこれを勤めた。
　武川衆の一員であった、柳沢氏は、将軍綱吉の時代に至って、大飛躍を遂げることはよくしられている。すなわち、元禄時代の側用人として十五万石の大名にまで昇りつめた、柳沢吉保が大飛躍の人であった。子孫は、大和郡山に移封されて幕末まで存続した。また、米倉氏も、後世、一万五千石の大名に出世している。 

</description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080706_gkl3.html</link>
 </textinput>
 <textinput rdf:about="">
  <title>ほげ...(=^_^=) ほげ</title>
  <description>【朝ごはん】 家
9:00　打ち合わせ

【昼ごはん】 

【間食】 

【晩ごはん】 

【夜食】 

【今日の感想】 </description>
  <link>http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20080705_gkl3.html</link>
 </textinput>
</rdf:RDF>
