奈良の大仏【516さんの健康管理カラダカラノート】

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10年03月25日(木)

奈良の大仏

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【今日のできごと】

【今日の感想】
NHKの歴史秘話ヒストリア(再放送)で ”奈良の大仏”(るしゃなぶつぞう) を見た。
奈良の大仏は 752年(開眼) 聖武天皇により創建されたが、その後 1000年におよぶ補修の歴史が刻み込まれているという。
建立当時は金色に輝く色鮮やかなモノであったらしい。創建から百年後、855年 大地震により頭部が内側に落下した。

1180年 源平の合戦では覆いの建物が兵火に 包まれ、上半身が溶けて無残な姿になった。僧侶「重源」が50人の仲間と浄財を集めて再建された。

1560年 戦国時代、東大寺が兵の拠点となり、やはり 炎上、この時は頭部が溶解した。信長や秀吉の時に補修されたが、彼らは城造りが優先で
資金不足から木製の補修に銅板を張ったモノで、百年もの間、野晒しの状態で傷みが進んだ。1684年 若き僧侶「公慶」が生涯の仕事として再建へ。

大仏再建の費用は 11,000両(約 十億円)。 勧進による資金集めは、出開帳(でがいちゅう)当時、秘物とされていた仏像を持参して法会を開き
浄財を募る、や螺髪(らほっ)とよばれる大仏様の髪の毛をあらわす青銅製の玉を、地方に公開、又 古い屋根瓦(東大寺)の破片を結縁(けちえん)
とする、さらに、古い大仏の体内の木組みから仏像を彫って買ってもらう。など、7年におよぶ資金集めにより 1691年(元禄4年)大仏完成。

大仏の台座から腰部にかけては奈良時代から鎌倉時代の「つぎはぎ」が、今もみてとれる。上半身は戦国時代、そして 頭部は江戸時代のものだ。

だが、まだ覆いの建物は無い。こちらは、大仏再建費用の十倍以上もかかるという。そんな折、公慶は五代将軍・綱吉に江戸へ呼ばれて『能舞台』
安宅の勧進帳をみる機会を得た。これは源平の合戦で焼け落ちた大仏再建の為、弁慶が演ずる重源の姿であり。これに感動した将軍綱吉は公慶
に木材三万本と大工500人の援助が与えられることになった。しかし、3000トンを超える大仏殿の屋根を支える巨木の梁が必要であった。公慶は8年
かけて、これを九州・霧島の神社の御神木に見つけ出し、これを奈良まで運ぶ一大プロジェクトが組まれ、1708年 ついに大仏殿(東大寺・金堂)
ガ完成。今日に至る。






【記録グラフ】
万歩計
1600歩
万歩計(歩) のグラフ
体重
67kg
体重(kg) のグラフ
 
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