節翁さん
最新の記録ノート
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17年04月23日(日)
きけ わだつみのこえ |
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書棚の「戦没学生の手記」が眼に止まり、久々に頁を開く。 ふと、開いた頁に「御厨卓爾」の名がある。 神風特別攻撃隊員として1945年6月5日戦死。海軍少尉、22歳。佐賀県出身とある。
佐賀の御厨氏は、私にとって遠い縁戚に当たる。 戦国時代、肥前御厨城が落城のおり、一族は肥前佐賀と肥前川棚とに分かれて落ち延びた。 私の祖母は川棚御厨氏の出である。
”特攻出撃を待つある朝、足元の枯芝を見つめながら命の尊さと迫りくる死を考える” 二頁半の清冽な文章である。
敗戦を間近にしたこの時期、私は旧制中学の一年生。 遠からず玉砕するであろうと覚悟しつつ、学徒動員で塹壕を掘っていた。 御厨卓爾より九歳年少であったが故に生き残ったのである。
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