回答者 motipon さん ( 一般人 ) | 回答日2009/02/13 22:02 |
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友人からそう言われたら傷つきますよね。自分では自分の姿は見えない分、気になってしまうのも仕方ないかもしれません。
「死んだようになる」ということがどんなものかはわかりませんが、そういうことを言う人には、そう感じるのかもしれません。それが本当かどうかもわかりません。ご相談の内容だけはもちろん何もいえないのですが、それでも、一ついえることがあるような気がします。 それは、あなた自身が、自分の目が死んでいると思うか思わないか、それが大事ではないかなということです。目というより、自分の心かな。 角度や光の加減で、人の顔はとても印象が変わります。化粧なんてすれば、別人のようにもなります。顔の「見え方」は、いくらでも変わります。だから、自分がよく見える工夫も、してもよいとは思います。楽しんでやれたらですよね。 でも、顔を取り替えることは意味がないと感じます。理想の顔なんて、あるようなないようなです。大好きな人の顔が、角度や何かで、ちょっと変に見えたら、あなたは同じような言葉を投げつけますか?どう見えても、それはそれで、いい仲間、好きな人、そう感じる心の人を大切にしたほうがいいような気がします。自分も、人にはそのように接してほしいなとか思います。 見え方は、人がどう言うかは、なかなかどうもしようがないものですが、それを笑い飛ばせるくらいの「自分自身の感じる自分への自信」を作っていっていただけたら、きっと振り回されないようになるような気がします。生きていれば、いろいろと言われたりします。だから、そうした言葉に負けない、自信のもてる何かを作ることにこそ、一生懸命になるほうが、時間の有効な使い方じゃないかなとか感じました。 毎日接しなければならないクラスの人とは、なんとか適当にうまくやらないといけないとだと思いますが、「自分の目は死んでないさ」という強さをもって、がんばってほしいなとか思いました。 私は、病気でそう見えるということはないと思います。自分で目がおかしく感じるなら眼科などに行く必要があるかと思いますが(色がおかしいとか、見え方が変なら病気の疑いもありますが)。精神的なものというよりも、やはり、そういうことを言う人がいるから、そう見えたりするかもしれないな、くらいに思えるかどうかが大切かなと思います。 一つの意見ですが、大切な青春時代ですから、自分を楽しんで毎日を過ごしていっていただけたらなとか思いました。 |
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