catyanさん
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07年12月28日(金)
わがそ。 |
< ほ。
| 憂か。 >
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【其の八十七.】(No.92) 詠み人:二条院 讃岐
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かはくまもなし
(ワガソデハ シオイニミエヌ オキノイシノ ヒトコソシラネ カワクマモナシ)
[ギミック] 特にナスww
[通釈]
私の袖は、ひき潮の時であっても見えない沖の石のように、
誰も知りはしないでしょうが、嘆きの涙で乾くひまも無いことですよ。
----- おまけ&キャチ的☆解釈 -----
本歌:「わが袖は水の下なる石なれや人に知られでかわく間もなし」和泉式部
本歌が「水の下の石」であるのに対しコノ歌は「潮干に見えぬ沖の石」。
それほどまでに、密やかな恋である事、深い悲しみであるという事を表しています。
ただただ自分の袖を濡らす事しかできない、この時代ならではの悲しき女性の姿。
これは日本人の多くが尊ぶ精神の形なのかもしれません。
先日、「『フランダースの犬』を見て泣くのは日本人のみ。」という記事を目にしました。
日本では「在らぬ罪を被せられても尚、誰を恨む事もしない清い心を持った少年が、
悲運のまま幼くして一生を終えてしまう」という姿に涙します。
ところが外国では「冤罪を着せらたまま死んでいった負け犬の話。」と評価するそうな...
ほほぅ。ナント興味深い。なぜなのだろうか?
すると文末に「日本人の中に『滅びの美学』が宿っているからだろう」とございました。
ナルホド...すっげ曖昧模糊っとしてますが、なんかすっげナットク、しちゃうなぁ。
『滅びの美学』...『自己犠牲』...『大和魂』
・・・イト、アラマホシ。
(ノコリ13。)
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http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20070708_iqg3.html
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