catyanさん
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08年01月03日(木)
風を。 |
< 嘆き。
| 春の。 >
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【其の九十三.】(No.48) 詠み人:源 重之
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
砕けてものを 思ふころかな
(カゼヲイタミ イワウツナミノ オノレノミ クダケテモノヲ オモウコロカナ)
[ギミック] 特にナスww
[通釈]
まるで、風が激しくて岩を打つ波の如く、私だけが(恋の思いに)
心が砕けて散り散りなって、思い煩う今日この頃であるなぁ...。
----- おまけ&キャチ的☆解釈 -----
「いたみ」は「いたし」の副詞化したもの。「激しい」
「・・・を~み」は「・・・が~ので」
従って「風をいたみ」で「風が激しいので」の意となります。
「岩打つ波“の”」は「“の”如く」の意を含む比喩を導く格助詞。⇒「砕けて」に通ず。
※「おのれのみ」は「己の身」としたいところ?ですが、
限定副助詞の「のみ」と捉えて「私だけが」となるようです。
“岩打つ波の砕け散るる様”が、この歌の核であり全てです。
「激しい恋心」「無残な失恋」「孤独な悲哀」作者の全ての感情を比喩しているのですね。
さて。ここで少々、学校でのお勉強のお話しをいたします。
これは、英語であっても現国であっても同じなのですが、
よく「文法ありき」な解説をされる先生っていらっしゃいますよね?
例えば上記※の場合。
『これは限定副助詞の「のみ」“だから”「私だけが」と訳します。』ってな具合に。
・・・これって絶対間違った教え方だと思うんですよ。
だって、文法なんざ後づけでしょ?
分法が先にあって言葉がある、わけではないのですから。
まぁ、教師側としてはこれが教えやすい方法であったり、効率的であったり、
とそれなりの思惑があるのでしょう。
そもそも試験の中にも「文法」自体が含まれてますしね(^_^;)
私も以前、家庭教師をしていたので、そう言った事情もわからなくはありません。
でも同時に、子供達がこういう『違和感』に対し案外敏感☆だということもわかるのです。
だけども子供だけに、それに対抗したり疑問を抱くだけのノゥハゥがまだ無く...
さて、するってぇとこの矛盾は彼等の中でどうなるでしょうか?
『抵抗感』や『拒絶感』となり、延いては『勉強嫌い』になってしまうのでは
無いでしょうか?
義務教育なんざ一般教養さ。...って割り切ってしまえば良いのかも知れません。
いずれ必要な時に、学び気付くためのプロセスとなれば十分なのかもしれません。
だけど、せっかく与えられる貴重な学習の場と時間で、学問を嫌いになってしまうような
授業を受けるのは、あまりにも勿体無ぃなぁ...と思うわけで。
・・・イト、オホケナシ。
(ノコリ7。 なぜか教育論を語ってしもぅた...真面目かっ!?)
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http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20070708_iqg3.html
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