来ぬ。【catyanさんの健康管理カラダカラノート】

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08年01月10日(木)

来ぬ。

< 君がためを。  | あとがき。 >
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【其の百.】(No.97) 詠み人:権中納言 定家

 来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に
  焼くや藻塩の 身もこがれつつ
(コヌヒトヲ マツホノウラノ ユウナギニ ヤクヤモシオノ ミモコガレツツ)

[ギミック] 掛詞:まつほ=待つx松帆の浦(地名) 
         こがれ=焼き焦がれx恋焦がれ

[通釈]
いつまで待っても来ないあの人を待って、
まるであの松帆の浦の夕凪の頃に焼く藻塩のように、
身も焦がれる程に想い焦がれ、待ち続けておりますよ。

----- おまけ&キャチ的☆解釈 -----

「松帆の浦」は淡路島北端、岩屋海岸にある場所。
「夕凪」は夕刻の凪(風がやみ、波がおさまり、海面が静まる状態。)
「藻塩」は乾燥させた海草を焼いた灰を、水に溶き、煮詰めて採ったモノ。

さぁさぁ。オーラスはこのお方。
小倉百人一首の代表的選者である藤原定家殿にごぢゃりまする。
「サダイエ」ぢゃダメです。「テイカ」でいきましょう。
この素晴らしき芸術品の創造者に敬意を表して、ラストに持って参りました。

その情景、その叙情、その技巧、全てに於いて「流石」の風格であります。
凝りに凝り、整えに整え、洗練され尽くしたこの歌に、非の打ち所は有りません。

が、しかし。
敢えて言うとすればその、「完璧さ」でございましょうか。
完全なものは、ドコかつまらなく、人工的な無機質さを覚えます。

事実この歌には、真に胸に響くものも、強く心を惹くものもございません。
(・・・というのは、あくまで個人的な感想ですが。)
完全体より、不完全なものの方が、ナゼか美しく、気高く、愛おしいのです。

・・・きっと、それが人間の姿そのものだから、なのかもしれません。

な~んちってね☆

******【定家十体-テイカジッタイ-】******
*  幽玄様 事可然様 麗様 有心体 長高様  *
*  見様 面白様 有一節様 濃様 拉鬼体   *
**********************

・・・イト、アラマホシ。

(オーラス。ぢ・えんど♪・・・でもマダあとがきがあるぢぇ。・・・さーんっ!)

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