「8004」 ~節翁さんの記録ノート

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節翁さんの2013年04月の記録ノート

熱波の4月も終わる

04月30日(火)
階下のリヴィング・ルームは32.5℃。
二階の私の書斎は37℃を超える。
午後、ひたすら水を撒く。

マニラの街が熱波に焼ける4月も終わる。
雷雨(スコール)の到来を待ちに待つ。 ...
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八十路の坂を・・・

04月29日(月)
またひとつ、ゆっくりと越えた。


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すっかり回復! 原因は・・・

04月28日(日)
3日間続いた体の変調、食欲不振、だるさ、微熱。
風邪の兆候は全くない。他に思い当ることもない。
ふと、4日前に私の部屋のエアコンを始動したことを思いだした。

温度変化、振動や超音波発生、始動時の埃や黴、バクテリアの飛散・・・
それらが体の変調を齎す可能性はある。 ...
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だるい。食欲なし。

04月27日(土)
昨日、ジュリー、レイモンドとマカティへ。
両替所で日本円をフィリピンペソに。100円=41・50ペソ。
日本・韓国食品店でわかめ、キムチなどを買う。

殆ど歩いていないのに、疲労感。
昨日も、夕食抜きで、早々にベッドへ。 ...
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04月26日(金)
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04月25日(木)
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ふくらはぎを痛めて17日・・・。

04月24日(水)
野も山も街なかも花盛り。
久しぶりの日本の春に浮かれて、時には終日歩きまわった。

普通の都市なら問題はなかったはずだが、名にし負う”坂の長崎”である。
1週間後の4月8日、左脚のふくらはぎに激痛が走り歩けなくなった。
膏薬を貼り安静にすること5~6日、幸い?痛みも薄れた。 ...
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閑散、静寂も好いが・・・。

04月23日(火)
いつも賑やかな女の子二人は、故郷のミンドロ島て夏休みを楽しんでいる。
シッタデールはジュリーの妹宅で、ヴァネは養父母の下で。

男の子二人が我が家にいる。
長男レイモンドは、今回最後の夏休みになるが、ジュリーの補佐役、留守番役だ。
今月、大学を卒業した次男ノルマンは、卒業日の翌日から出身大学の職員として出勤している。 ...
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猛暑酷暑のマニラで・・・。

04月22日(月)
コンクリートずくめの巨大都市マニラは、ただ今、盛夏。
連日、35℃、36℃、37℃の酷暑が続いている。
人口密度は東京都の4倍。その暑苦しさ、息苦しさを想像してほしい。

今日は薄日薄曇り。最高気温も33℃に留まった。
猛暑酷暑の4月にしては珍しい。 ...
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ドイツ黒パンを堪能している

04月21日(日)
ドイツのライ麦を使って、ドイツ人が作ったライ麦・黒パンを堪能している。
日本に帰国した際、ネットで購入したものだ。

純粋のドイツ黒パン ”プンパーニッケル”           1kg
僅かな酸味、マイルドな味 ”ベルリーナラントブロート”   2kg
...
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友の命日に・・・。

04月20日(土)
敬愛する友の逝去から、はや、5か月が経つ。
夫人に電話を入れる。
夫人と私は高校時代のクラスメートでもある。
亡き友の思い出話、尽きることがない。

友は81歳の誕生日を目前にして逝った。 ...
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真夏日 なすことなし

04月19日(金)
マニラの昼間の気温36℃。暑い一日。
家周りに水を撒き熱波を凌ぐ。

昨日卒業したノルマンは、早くも大学職員として出勤した。
ジュリーは、いつものように、食事の支度、掃除、洗濯。
レイモンドは自室に籠って、勉強か、昼寝か。 ...
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ノルマンの卒業式に・・・。

04月18日(木)
大学の生物学コースを卒えて、今日は晴れの卒業式である。
フィリピン文化センターの大講堂で行われた卒業式にジュリーと共に参加する。

わが子になった時は4歳の幼児であった。
今、立派な青年に育った。
感慨無量である。 ...
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04月17日(水)
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旅の疲れも取れて…。

04月16日(火)
一日、二階の書斎と一階の居間で過ごす。
旅の疲れはとれたが、左脚のふくらはぎの痛みが残る。

夕刻、ロサリーナが孫たちを連れてやって来る。
賑やかで楽しいひととき。
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無事、マニラの自宅へ。

04月15日(月)
午前9時過ぎ、弟一家の皆さんとお別れのあいさつ。
九州急行バスで福岡空港へ。
午後3時20分、離陸。天候良し。

航空機の窓から、南西諸島の島々を楽しむ。
沖縄本島の東に連なる十余の小島と美しいサンゴ礁を眺め終わると、 ...
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長崎、最後の一日

04月14日(日)
長崎湾沿いを埋め立てて造った水辺の森を歩く。
江戸幕府が作ったオランダ人居留区「出島」に次ぐ歴史的な事業であろう。

屈曲に富んだ長崎湾、行き交う船舶の数々、取り囲む山々、坂の街長崎。
その湾沿いに長く長く続くなだらかな海辺の丘、芝生と緑の樹木。
美しい石の歩道。変化に富む掘割の水。 ...
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きょうだい揃って・・・。

04月13日(土)
今日は、妹が来てくれた。
弟の病状改善を喜び合う。

妹持参の寿司や手料理を食べながら、
3時間余りも、話に花が咲く。
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弟の病状好転に安堵する

04月12日(金)
弟と朝の散歩を共にした。
午後には、弟の運転でショッピングモールに買い物を共にした。
1週間前の衰弱しきった弟を想像できない回復ぶりだ。

弟によると・・・。
この1週間続けた点滴で体力もかなり回復し、味覚も食欲も出てきた。 ...
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再検診 症状は改善

04月11日(木)
4日の健診結果は、肺に病変あり、肺がん再発も疑われるとのことであった。
肺炎の症状に留まることを祈りながらも、肺がんの不安に怯える日々でもあった。

1週間後の今日、原爆病院で再検診。
血液検査、胸部レントゲン検査の結果
主治医の説明によると・・・ ...
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04月10日(水)
夜、遺族年金の勉強。
手続きは、かなり複雑。
日本語を解せぬ外国人にとっては、代行依頼が不可欠のようだ。
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晴 風あり

04月09日(火)

病気の弟、朝食のヨーグルトが美味しいという。
やっと、味覚が戻り始めたようだ。
夕刻、二人で、あるべき未来の世界像を語り合う。

ふくらはぎの痛み、未だ回復せず。
近所周りの軽い散歩に留める。

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坂の長崎、ふくらはぎを痛める

04月08日(月)
目覚めると、左脚のふくらはぎが痛む。
坂道を歩き過ぎたのだろうか。
湿布を貰い張る。

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04月07日(日)
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荒れ模様、雨の一日

04月06日(土)
家から一歩も出ることなく、籠りきりの一日。
こんな経験、ここ数年で初めてだ。

脱水症状で病院に担ぎ込まれた弟も、2日間の点滴でかなり回復。
今夜は、戦後に生まれた素晴らしい映画の話しに花が咲く。
”又逢う日まで”"二十四の瞳””姫ゆりの塔”などなど・・・。 ...
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春の野辺を楽しむ

04月05日(金)
朝食後、住宅にほど近い野や岡を散歩。
春の花を楽しむ。

たんぽぽ、菫、蓮華、菜の花、大根の花、キランソウ、オオイヌノフグリ
アザミ・・・などなど。名も知らぬ野の花もびっしりと咲き乱れている。
道を歩くと家々の門前は勿論、石垣にもアスファルトの隙間にも花が咲いている。 ...
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検査結果に愕然

04月04日(木)
午前8時15分病院。
検査・・・血液検査、胸部レントゲン検査、CTスキャン

午前11時、主治医北崎医師の診察。
主治医の所見によると・・・
1、左下肺野に不整形の病変が数個見られ、周辺にすりガラス状の影も伴っている。 ...
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04月03日(水)
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被爆詩人福田須磨子忌、爆心地の詩碑を詣でる

04月02日(火)
尊敬する友人であり、原水爆禁止運動を共にした同志でもある福田須磨子さん逝去から38年が経つ。
雨の中、須磨子碑の前に立ち、在りし日々を偲ぶ。

 福田須磨子詩碑

 生命を愛しむ ...
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04月01日(月)
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