かおっちゃん。さん
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13年08月15日(木)
「君死にたまふことなかれ」 |
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< じゃりン子◯エ?
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朝起きて、まず、この言葉が頭に浮かんだ。
日露戦争開戦7ヶ月後の1904年9月、雑誌『明星』に発表された与謝野晶子の新体詩。 副題に「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて」とある。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=bz7XeJ7BIIU...
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平和への願いをこめて。。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=DKB41krUnVU...
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=8RG1I2K6JEM...
日本海軍沖縄県軍司令官、大田実少将司令官が、本土に宛てた最後の電文。
沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも、 県には既に通信力なく、32軍司令部、又通信の余力なしと 認めらるるに付き、本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども 現状を看過するに忍びず、これに代わって緊急御通知申し上ぐ。
沖縄本島に敵攻略を開始以来、陸海軍方面、防衛戦に専念し 県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりき。 然れども、本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を 防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に 家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に 差し支えなき場所の小防空壕に避難、尚、砲爆撃下のもと 風雨に曝されつつ乏しき生活に甘んじありたり。
しかも若き婦人は率先軍に身を捧げ、看護婦、炊事婦はもとより 砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出るものあり。
所詮敵来りなば老人子供は殺さるべく、 婦女子が後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、 親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。
看護婦に至りては軍移動に際し、衛生兵既に出発し 身寄り無き重傷者を助けて、真面目にして一時の感情に 駆られたるものとは思われず。
更に軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に はるかに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者 黙々として雨中を移動するあり。
これを要するに陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫勤労奉仕、 物資節約を強要せられつつ、ひたすら日本人としての ご奉公の護を胸に抱きつつ、遂に報われることなくして 本戦闘の末期を迎え、沖縄島は実情形を変え 一木一草焦土と化せん。 糧食6月一杯を支ふるのみなりという。
沖縄県民斯く戦えり。 県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを。
送信後、壕内で自決。。
「もう」68年?
「まだ」68年! 今もなお、消えない痛み、想い、願い、、、、、決して、忘れてはならない。。。
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