中国の胡錦濤国家主席は10日、5日間という異例に長い訪日日程を終えて帰国した。 今回の訪日に成果があったかというと、それなりの成果はあっただろう。胡主席も「訪日は円満に成功した」と語り、福田康夫首相も「成果は想像以上」と強調している。当事者による甘い評価であることを差し引いても、私は日中関係が新しいスタート台に立ったという点で意義を認める。 歴史問題が大きく後退したことには好感 現在、日中関係には3本のトゲが突き刺さっている。(1)東シナ海ガス田問題、(2)ギョーザ事件、そして(3)チベット問題だ。 (1)については、両首脳とも「解決の見通しがついた」としているが、その合意内容は明らかにしなかった。記者会見での福田首相の自信からすると、かなりの期待を感じさせられる。 (2)は何よりも中国側の徹底した捜査が求められるが、これも胡主席は約束した。 (3)は首脳会談直前の、ダライ・ラマ側との対話実現が、ささやかながらチベット問題解決への第一歩となった。これが本格的な対話に発展するためには国際社会が厳しく注視する必要がある。 3本のトゲを両国民が納得する形で解決するのは至難なことだが、その過程で真の「戦略的互恵関係」も築かれていくはずだ。 ただ、今まで最大のトゲであった“歴史問題”が大きく後退してきたことは好感できる。これには、胡錦濤主席自身の年齢や個性も影響している。 私が初めて胡主席に会ったのはもう10数年も前のこと。彼が若くして政治局常務委員に抜擢された頃だ。その後も何度か会っているが、主席に就任してからは1度も会う機会がない。 初対面の印象は、“誠実な人”の一語に尽きる。その印象は今でも変わっていない。 私は彼が無名な頃、日本の雑誌に「中国の輝ける星」として彼を紹介したことがある。それを中国大使館が翻訳して胡氏に送ったとも聞いている。当時は彼が主席となる可能性は高くはなかったが、私は彼が国家的指導者となることに強い期待感を抱いていた。 “誠実な人”は“王道の人” 今回、胡主席は元首相たちと会談をした。終了後に中曽根康弘元首相は、胡主席の印象を「策謀する人ではない」と語ったが、さすがであった。 私から見た胡主席にはいくつかの特徴がある。 一つは、彼が“覇道の人”ではなく、“王道の人”だということ。今までの中国の指導者のように権力を奪い取った人ではなく、推されて頂点に昇りつめた人だということだ。私は前述の紹介文で「周恩来元首相の再来を思わせる」と評した。 反面として“王道の人”に避けられない限界もあるかもしれない。強力な指導力によって、国民を説得していけるかというと不安も感じさせられる。 訪日中の胡主席に思いがけない難題 次に、胡主席は、親日的な故胡耀邦元総書記を師と仰いできた人だ。“反日的”な印象を受けた江沢民前主席とはかなり違っている。戦後、廃虚から見事に立ち上がった日本に心からの敬意を抱いている。 もう一つは、彼の属する世代に起因すること。1942年生まれだから、終戦時に3才、人民中国建設時に7才ほどだ。戦前、戦中の“歴史”を自ら体験した指導者ではない。だから、政治的関心を過去より未来に集中させられる。 ところで、訪日中の胡主席に思いがけない大きな難題がふりかかった。ミャンマーの未曽有のサイクロン災害である。 中国はミャンマーの軍政に対して国際社会の支援を拒むような姿勢を転換させることを強く促すべきだ。ミャンマー政府のかたくなな姿勢は、胡主席が離日前に既に明らかとなっていた。ならば福田首相は胡主席にミャンマーへの働きかけを強く要請すべきだった。 中国は北朝鮮、スーダン、ミャンマーなど無法国の駆け込み寺のような印象を与えている。そのことが中国の国際信用を低下させ、北京オリンピックへの協力の妨げとなっている。 災害を機に国際協調の体制を築き上げられるか 中国は今のところ「主権を尊重し、忍耐強く意思疎通を進める必要がある」(5月11日毎日)と言っている。だが、今回のような大災害には「忍耐強く」している余裕はない。1日遅れると何万人もの犠牲者が増加し、伝染病がまんえんする恐れもあるのだ。 自らの軍政を正当化するための新憲法案の是非を問う国民投票を何十万もの犠牲者の救済に優先させている国など、長い歴史をふり返ってもほとんどない。そういう国に対して、中国がいかに強い態度で臨むか。それを世界が見守っている。 本稿を書いた直後(12日)、「中国四川省で大地震」のニュースが伝えられた。 中国にとって、胡錦濤体制にとって、さらなる試練である。 少なくとも“人権”、“環境”、“災害”の3課題では国境を取りはずして取り組んで、国際協調の体制を築き上げる。それが21世紀の世界が目指す方向だ。多くの苦難の中から、中国が大きく変わってほしい。