no title【ピョムコさんの健康管理カラダカラノート】

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18年06月08日(金)

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SA。
今日は仕事で急遽休みをもらって帰省中。
眠い。
眠気覚ましにスマホで書いていた。

昨晩、同居していた祖母が亡くなった。
12年前から特養に入り、昨晩、一昨晩危篤だったらしい。
父たち3兄妹で交代で見守ろうということで徹夜だったようだ。
最近父母から連絡が少ないと思っていたら、危篤、回避、を数回繰り返していたようだ。
私は仕事があるだろうと、連絡をされなかった。

祖母にはGW中、病院で会った。
アルツハイマー型認知症を患っており、もう何年も私は認識されていない。
一緒に住んでいた頃は、祖母は祖父の胃ガンを看病していたが、祖父が亡くなってからというもの、徐々に火の消し忘れで鍋を焦がすことなどが目立ち始めた。
その後、私は進学で実家を出たのだが、祖母の妄言(嫁が財布を隠したと近所にふれまわる)や、徘徊(みよちゃん?が赤ちゃんを抱いて川を上ってくるから、迎えに行くと言って出掛ける)など、父と母で看病するには手に負えなくなり、施設への入居となった。
当初は会いに行くと「家に帰してくれ、なんで連れて帰ってくれないのか」と、私たちが見舞いに行くたびに言って泣いたりするので、胸を引き裂かれる思いをした。
私は当時の認識が甘く、帰してあげたいという気持ちでいっぱいだったが、一時帰宅以外で父と母が長期で家に迎えることはなかった。
血栓型の認知症ならば治るかもしれない、いや、やはりアルツハイマー型だった、父と母は本を読んだり講演を聞いたりして知識を身につけた。
私は家族と離れて暮らしているため、見舞う頻度も少なく、見舞う度に進行が見られた。
ついに誰も認識されなくなった。父は、祖母の父と思われていた。
私たちが全く認識されないことや、最近のことを思い出してくれないこと(=なんだか、私が幼かった頃など祖母の晩年はずっと辛かったんじゃないかと思って)の悲しさ、辛さばかりが先立ったが、本やテレビで認知症を知るうちに、そういうもの、最新の記憶から消えて行くものなのだ、脳の萎縮やアミロイドβの産生過剰(除去不足)等による細胞の欠落を考えると、不可逆なことなのだと私がわかるようになった。

GWに会った時、わずかに表情が動いた。
とても久しぶりの事で、嬉しかった。

父と母は、長年の介護&見舞い生活のなかで覚悟ができていたんだろうな。

私は、淋しい。

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