「お四ツ」にお茶【abc_xyzさんの健康管理カラダカラノート】

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09年07月06日(月)

「お四ツ」にお茶

< 蜚(と)ばず、鳴か...  | 2010年1月4日... >
照明器具が発達する前の時代では、人々は日の出と共に行動し、日没と共に「休む」という生活を送っていました。

その頃の時間感覚は今のように時計が主体ではなく、太陽だったのです。

太陽が昇る、太陽が真上に有る、太陽が沈む、これらのことが非常に大事だったですね。

その頃の時刻の基準となるのは、日の出、そして日の入りです。

それぞれを「六ツ」とし、日の出を「明六ツ」、日の入りを「暮六ツ」と決めました。

「明六ツ」から「暮六ツ」までを昼として6等分、「暮六ツ」から「明六ツ」までを「夜」として6等分し一日を十二刻としたのです。

時間の進み方は「明六つ」から五ツ、四ツと減って行き正午は突然九ツになります。

正午を過ぎると、八ツ、七ツとまた減っていき、暮六ツとなって夜のスタートとなります。

夜も同じように「暮六ツ」から五ツ、四ツと減っていき、真夜中の「正子」に九ツになります。

子の刻を過ぎると八ツ、七ツと減っていき「明六ツ」となって一日のスタートとなります。

なぜ、いきなり夜明けが「六ツ」なのかといえば、その基準となるのはやはり太陽が南中する正午を昼の九ツとし、

その12時間後を夜中の九ツとするという決まりごとがあったようです。とすれば、やはり基準は太陽の南中でしょうか。

日本は四季があり、冬と夏とでは昼の長さが違うのですが、当時は、そんなこともお構いなく、長くとも短くとも

昼は6等分で示されます。冬でも夏でも太陽が真上にあれば九つなのです。合理的といえば合理的です。

ちなみに「三時のオヤツ」はこの正午の九ツの次である「八ツ」から「お八ツ=オヤツ」となったようです。

おなかのすくこの時間にお茶をしていたのが「おやつ」のはじまりです。

ところで日の出と共に仕事を始めれば、お昼までにおなかがすきますね。

昔は丁度10時ころを「お四つ」といってこの時間にもお茶をしました。

しかし文明と共に夜が長くなると朝も必然遅くなり、仕事がスタートしたばかりの10時にお茶をする習慣は無くなってしまいました。

しかし、夜明けと共に仕事が始まる農家では未だに「お四ツ」にお茶をするということはあるようです。
http://www.tamagoya.ne.jp/potechi/2005/20050919.htm


昼と夜をそれぞれ6等分する方法を延喜法といいます。また夏と冬で一刻の時間が違うので不定時法ともいいます。

不定時法では昼も夜も6等分です。夏冬関係ありませんから、冬至の頃での昼は約11時間、夏至の頃は約16時間になります。

これを6等分するわけですから、冬の六つから五つは110分、夏は160分という具合に50分も違います。

江戸時代以前では、不定時法の時刻に十二支を当てはめていましたが、当然その時刻も夏と冬とで変わってくるのです。

夏も冬も日の出は「明六ツ」であり「卯の刻」なのです。

卯の刻六ツ(明六つ)日の出・一日の始まり
辰の刻五ツ
巳の刻四ツ(お四つ)午前10時のお茶の時間
午の刻九ツ(正午、太陽が南中する)
未の刻八ツ(お八つ)午後3時のお茶の時間
申の刻七ツ
酉の刻六ツ(暮六つ)日没
戌の刻五ツ
亥の刻四ツ
子の刻九ツ(正子)
丑の刻八ツ
寅の刻七ツ

この方式を最初に明記されたのが延喜5年(905)藤原時平によって編纂された古代法典「延喜式」。

これによれば2時間おきに太鼓を打つことになっており、その数は子・午の時にはそれぞれ九つ、

丑・未の時には八つ、寅・申の時には七つ、卯・酉の時には六つ、辰・戌の時には五つ、巳・亥の時には四つ

と決められていました。延喜式の時刻表示では九八七六 五四の数字しか使わないのが特徴です。



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