abc_xyzさん
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10年11月04日(木)
「ご冥福をお祈りします」とは |
< 尖閣諸島領有
| ≪ 合掌とは何か?... >
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「冥福」は祈らない
外交官殺害事件について各種ブログをザッピングしていて、「冥福」という言葉が奇妙に心に引っかかった。
なにか痛ましい事件があると、メディア、とくにTVで「ご冥福をお祈りします」と来る。
いつからそういう風潮になったのだろう。自分の少年期や青年期を思い起こすのだが、よくわからない。
ただ、阪神大震災あたりから「あれ?」という違和感があった。この手の問題はどうも気持ちが悪い。
話がそれるが、最近の若い子は食事の前に「いただきます」と言って合掌をするのだが、これもどこから入ってきた風習なのだろう。
育児のことを現在ではあたりまえのように「子育て」と呼ぶが私の記憶では三好京三「子育てごっこ」以降のことだ。
昭和50年である。広辞苑を見ると浮世風呂に「子育て」の用例があるのでこの時期の造語ではないようだが。
「冥福」に話を戻すと、浄土真宗つまり門徒は「冥福」という言葉を使わない。
御同行御同朋使だけで使わないわけでもない。
この手の話はネットにあるだろうと探すとある。「浄土真宗の弔辞の例文」にはこうある(参考)。
仏教でも、浄土真宗でも、故人の冥福を祈りません。 既にご承知と思いますが、冥福とは、「冥土(冥途)で幸福になる」と言う意味です。 そして、この「冥土(冥途)」とは、仏教以外のものの考え方なのです。
つまり、ご遺族に「ご冥福をお祈りします」とご挨拶されることは、 「亡くなられた方は、冥土(冥途)へ迷い込んだ」と言うことを意味し、 「お浄土の故人を侮辱する無責任で心ない表現」と言えます。
亡くなられた方は、何の障害もなく、お浄土に往かれています。 亡くなれば「迷う者」として、「祈る(供養)」と言うことは、 果たして遺されたご家族の悲しい気持ちに対してふさわしいものでしょうか。 浄土真宗にご縁が深い方へのご挨拶なら、 「○○さんのご冥福をお祈りします」ではなく、 「○○さんのご遺徳を偲び、哀悼の意を表します」と、 浄土真宗の教えにふさわしい言葉に言い換えましょう。
「浄土真宗にご縁が深い方へのご挨拶」と限定されているが、門徒の信仰者ならどの人にも冥福は祈らない。
門徒でない人間なら冥福を祈ってもいいのだろうか?と、そんな理屈をいうまでもなく、
「ご冥福をお祈りします」は礼儀を示すというだけの空文なのだろう。
つまり、「私は礼儀正しい人間だ」という表明なのだ。
たまたまテレビのニュースで井ノ上正盛書記官のご夫人の映像があった。
身重の映像で痛ましかった。TVに映す必要があるのか私にはわからない。痛ましいものだった。
井ノ上正盛のご冥福を祈ると私はとうてい言えない。
生まれてくるお子さんには「お父様はお国のために命をかけられたご立派なかたでした」と聞いて育ってもらいたいという思いが湧く。
近代人は脱宗教化を遂げ、死後の世界など信じない。
だから、こそ冥土の幸福が祈れるのだとしたら、そうすることで大きなものを失っているとしか思えない。 http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/12/post.html
仏教の世界では、生前よほどの悪行をなした極悪非道な人物でない限り、
閻魔様に審判を受けた後に罪を許されそのままちゃんと御仏の導きで成仏できますので、
正式には 「哀悼の意を表します」「哀痛の極みに存じます」「謹んでお悔やみ申し上げます」 などというのが正しかったりします。
亡くなった人や遺族に 「ご冥福をお祈りします」 などと云うのは、
「私が祈らなければ、悪行のせいで無事に冥土にたどり着けないかもしれない」 と云うに等しく、
宗派によっては失礼にあたったりもするようです。 http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_gomeifuku.htm
冥福を祈るとは、冥土での幸福を祈るという意味ではないです。
冥土とは死者が亡くなってから49日間さまよう場所で、生前の行いを裁かれ、次の世界を決める場所であるというのが「仏教」の教えです。
そこでの幸福を祈るというのは、失礼というよりも、意味が解りませんよね。
冥福を祈るとは、冥土での旅を無事に終え、良い世界に行けるようにと親族が祈ることです。
つまり、記事の浄土真宗で言う「哀悼の意を表す」と同じ意味なのです。 http://d.hatena.ne.jp/okgwa/20080608/p2
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