abc_xyzさん
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10年01月11日(月)
色即是空 空即是色 |
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【色即是空】(しきそくぜくう): という言葉は有名な仏語で般若心経の中に出てくる言葉である。 この世にある一切の物質的なものは、そのまま空(くう)であるということ。 色(しき)とは有形の万物を言い、これら万物の本性は空しい存在であるとの意。
【空即是色】(くうそくぜしき): 仏語。一切の存在は現象であって空であるが、その空であることが体得されると、 その現象としての存在がそのまま実在であるとわかるということ。 現象界の本質である空は、現象界を離れてあるのではなく、そのまま現象界に顕現しているということ。 「般若心経(はんにゃしんぎょう)」には「色即是空、空即是色」とある。
【行雲流水】 行く雲のように、流れる水のように
【読者からの質問に答える】
(色即是空、空即是色というのは どういう意味?)
・木も草も犬も猫も人間もみな「色」 編集部 「英雄色を好む」とか、「色気より食い気」といったことばもあるとおり、 一般に「色」ということばには何か性的なニュアンスがあります。 そこから、色即是空というのは「色事は空(むな)しい」という意味だと思っている方も多いようですが。
大藪 そうではありません。 この「色」というのは、もとのサンスクリット語ではルーパといって、 目に見えるもの、形づくられたものという意味です。 木も草も犬も猫も人間もすべて「色」です。
そして、この「色」は、お釈迦様が「諸法無我」「諸行無常」とおっしゃったように、 実体としてあるものではなく時々刻々と変化しています。たとえば私は今みなさんの目に見えていますね。 これは「色」です。みなさんは、目に見えるものはそこにあると思っている。 しかし、この私という存在はどういうものかというと、両親があって生まれてきて、それから毎日呼吸をし、 水を飲み、食事をしてこうやって生きている。
絶えず新陳代謝をしているわけで、今日の私は昨日の私ではないし、今日の私は明日の私ではない。 そのように「色」には不変の実体はないのですから、それはすなわち「空(くう)」だということです。
(「空」というのはどういう意味?)
読者 「空」というのはどういう意味ですか?
大藪 これもよく誤解されているのですが、「空」というのは、空っぽとか、何もないという意味ではありません。 たとえば、ここに柿の木が一本ある。秋には実がなる。 しかし実がなるためにはまず地球があって、柿の木が大地にしっかりと根を張っていなければならない。 その土には水分、栄養分がいる。さらに太陽が照って葉に光が当たらないといけない。もちろん空気もいる。
そのように柿の実というものは、そのものだけでは存在しません。 周りのものすべてのなかでの一つの表現としてそこにあるわけです。 それは柿の実だけではなく、あらゆるものに当てはまります。 すべてのものが網の目のようにお互いに関係しあって存在していて、単独に存在するものはない。 ですから、すべてのものは根本的には一つであるということです。
一つ二つの一つではなくて全部を一つと表現することにしていて、それを「空」というのです。 ちょっと考えてみていただきたいのですが、時間的にさかのぼって考えれば、この宇宙は何百億年という昔、 ビッグバンという大爆発によって生じたといわれています。 本当のことはよく分かりませんが、爆発し宇宙が拡散していく過程で、冷えて物質が生じ、太陽も地球もでき、 ついには人間のような生命をも生み出したといわれています。 ですから、もとを正せば、宇宙に存在するものはすべて目に見えないエネルギーのさまざまな表現形態だ と云うことになります。そのエネルギーがすなわち「空」であり、その「空」から生み出され、形に表れたものが「色」です。
(「色即是空」と「空即是色」の違い)
大藪 お尋ねしますが、あなたは人間は死んだらどうなると思いますか?
読者 土に帰るのではないでしょうか?
大藪 禅では「父母未生以前の消息」ということがあります。 あなたのお父さんもお母さんもまだ生まれていなかったとき、あなたはどこにいたのかという問いです。 もう、お分かりでしょうが、今「色」としてこの世界に表れているあなたも、もとは「空」の世界にいたわけです。 ですから、死ねばまたもとの「空」の世界に帰っていく。決して無くなったわけではない。 「空」というのは、目に見えない常に変転してやまないエネルギーですから、そこから再び「色」が生じる。
編集部 色即是空のあとに空即是色と同じようなことばがおかれているのは?
大藪 それはですね、前半の色即是空というのは、私たちを含め目に見えるものはみな、 もとは同じ「空」という世界から生まれたのだということです。 しかし、それを理解しただけでは片手落ちです。現実には、ごぼうとニンジンは違うし、桜の花とバラの花は違う。 猿と人間は違うし、人間も一人一人違っています。 それをすべて同じだと言ったら区別がつきませんし、私のものはあなたのもの、あなたのものは私のもの、 男も女も同じと言っていたら社会はなりたちません。
ですから後半の空即是色というのは、「空」は必ず「色」というそれぞれ個別の様相を取ってこの世に表れる。 もとは同じだが、現実に現れたものには、それぞれ区別がある。それを忘れないようにしなさいという意味もあります。 それを忘れると、味噌もなんとかも一緒になってしまいます。
編集部 なるほど、この色即是空と空即是色という対語は、禅問答を連想させますね。 たとえば、「柳は緑、花は紅」というと、そんなことは当たり前ではないかと思いますが、 その前に「柳は緑にあらず、花は紅にあらず」という「空」の見方が省略されている。 常識を超えた「空」の世界から再び現実の「色」の世界に戻るところに仏教、とくに禅の妙味があるように思います。 http://www.bukkyo-kikaku.com/no_89_11.htm
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