娘二人、ミンドロに発つ【節翁さんの健康管理カラダカラノート】

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13年03月28日(木)

娘二人、ミンドロに発つ

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早朝5時、シッタデールとヴァネがミンドロに発った。
夏休み中、ヴァネは養父母の元で暮らす。
シッタデールもミンドロ生まれのミンドロ育ち、ヴァネに同行する。

年頃の二人の娘が居なくなると、我が家は寂しい。
三日後には、私も日本に発つ。
家族みんなが揃うのは新学期が始まる6月になる。



【記録グラフ】
万歩計
12388歩
万歩計(歩) のグラフ
   
コメント
マイペンライ! 2013/03/29 04:46
あ、新学期って6月からなんですね
お子さんは学生さんなんですか?
 節翁 2013/03/29 17:24
只今、キリスト受難の「ホーリウイーク」で、1週間のお休みです。
この後、学校は期末休暇に入り、6月の第1週に新学期が始まります。

こちらの4月~5月は最も暑い季節。マニラの気温は35℃になります。
6月からは雨期に入り、毎日のようにスコール到来。凌ぎ易くなります。

5人の子のうち1人は卒業して働いています。
長男と三女が歯学部に在学中。次女は栄養学部。
末の子は来月カレッジ卒業。メディカル・ドクターコースに進む予定でしたが、円安の影響をもろに受けて学費を出してやれず、残念ですが、当分、お預け。

komokomo 2013/03/30 12:18
ミンドロ島
→太平洋戦争の激戦地となった島の一つのようですね。
お子様は皆優秀ですね、将来世の中の為、フィリピンの為活躍されるといいですね。
節翁 2013/03/30 20:38
komokomoさん

ミンドロに派遣され捕虜になった作家大岡昇平の「ある補充兵の戦い」に拠れば・・・

ミンドロ守備隊は2個中隊、350人ほど。他に海軍関係者など合わせて500人そこそこ。

激戦といえる戦闘はなく、米軍やフィリピン人ゲリラの追及を逃れて山中に入った。
捕虜となり生還した人は大岡など60人に過ぎない。

1956年、戦後11年を経て、山本繁一少尉、中野重平伍長など4人が山を下りロハス町で投降。
1974年にミンドロの離島ルバングで、小野田寛郎少尉の発見と投降は余りにも有名。

山中に残留した兵士は三人、五人のグループに分かれて山中で生き延びたが、多くはマラリヤなどで死んでいったようです。

実は、私は、1986年から3年間、ミンドロ島各地で残留日本兵の情報蒐集を行い、日本兵と暮らした過去を持つ、ソリダッド・マリアーノというマンギャン族の女性に逢うことができました。

彼女の証言によると・・・
彼女は、少女時代に3人の日本兵に拉致され、山中で日本兵との暮らしを余儀なくされ、日本兵の子も生んだ。
3人の日本兵は、やがては殺し合い、残った1人は餓死した。
凄絶な証言でした。

ソリダッドは亡くなりましたが、日本兵との間の子、ガビノとはマニラに転居して以来4年間会っていませんが、近く、ぜひ訪ねるつもりです。




komokomo 2013/04/01 22:46
なんとすごい体験ですね!!
「たった一人の30年戦争」小野田さんの著書を数年前に読んだことがあります。
すさまじいジャングルの生活で本当によく生きて帰って来られたと思いました。
節蓊さんお仕事で情報蒐集されていたんでしょうか? フィリピンには今も戦争の傷跡があちこちに残っていそうですね。
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