www6_6wwwさん
最新の記録ノート
|
2009年 |
|
|
9月 |
|
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
|
|
|
月別に見る
タグ別に見る
|
09年09月28日(月)
音を楽しむ♪ |
< その前に…①
| 芽が出たぁー♪ >
|
【今日おもうこと】
なぜ、音楽という授業があったのか なぜ、皆と一緒に1つの音を楽しむ義務を課せられたのか
あの頃の私には 音を楽しむというココロの余裕がなかったのかもしれません。 余裕がないというよりも 音の楽しみ方がわからなかったのかもしれません。
けれども、あの頃楽しめなかったことも おぼつかない足ではあるけれど、それなりに毎日を歩いていれば こうして時を経て、ふとまたそれに触れてみたくなる… 不思議ですね^^
そんな音を、耳だけでなく 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚… この五感を通して触れてみようと、意識して思うようになったのは ここ最近になってからだと思います^^
特に、スメタナ(1824-1884)の《モルダウ》との出逢いは 私の音楽に対する、これまでの在り方を 一掃されたと言っても過言ではないほど、衝撃的なものでした^^
1粒のキラリと光る水の滴から 静かにその音は始まり
やがて様々な音色が混ざり合って 苔むした碧く甘い香りの流れを繊細に奏でながら モルダウ川へとそれを移していく。。
この時、曲調は短調で 私の中から自然と熱いものがこみ上げ、なぜか夕日の色が目に浮かびます^^
どこまでも果かなくて どこまでも途切れることなく
ラストは、曲調が一気に長調に変わり この瞬間、私のカラダの中に新たな白い流れが息吹くのを感じます^^
《モルダウ》に触れるたび思うことは 聴覚を失っても、なぜスメタナがここまで音を描くことができたのか…
音は、それを失っても、残された感覚で描けるものだと。
音に限らず、感じるもの全てが、持てる感覚で創れるものだと。
どんな絶望も、流れに逆らうことなく生きていれば、やがて希望に変わるのだと。
《モルダウ》の調べその1つ1つに、それらが込められているような気がします^^
|
|
【記録グラフ】 |
|
【食事の記録】 |
|
コメントを書く
|
ページTOPへ戻る↑ |
|
|