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07年09月09日(日)
逢ふ。 |
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< 春す。
| 永ら。 >
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【其の七.】(No.44) 詠み人:中納言 朝忠
逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
(アウコトノ タエテシナクバ ナカナカニ ヒトヲモミヲモ ウラミザラマシ)
[ギミック] 特にナスw
[通釈]
(もしも、この世の中で男女が)愛し合う(出会う)ことが全く無かったならば
人(恋人)のつれなさや、身(己)のつらさを恨んだりすることも無いであろぅのに…
----- おまけ&キャチ的☆解釈 -----
彼は笙(笛の一種)の名手で、大変おモテになったそうデス。
デスガたった一人の女性ダケを愛し、ニモ関わらずその女性の心変わりでフられてしまぅ。
そこで詠まれた歌なのだそうデス...(/_;)ウルウル
このような背景から、一見すると「あんな女に出会わなければ...」という
まさに“恨み”の想いのようにも見受けられます。が、そぉでは無い。
トキに、コレにとてもよく似た有名な和歌がゴザイマス。
『世の中に 絶えて桜の 無かりせば 春の心は のどけからまし』
コレは、古今和歌集に収められた在原業平⇒【其の一.】の作品デス。
http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20070907_iqg3.html
訳せば、「この世の中に桜の花が全く無かったならば(慌しく散ることもな無く)
春をさぞかしのどかに過ごせることであろぅに」 ・・・ね、似てますょネ?
と思って調べたところ、それもそのはず☆まさにコレにならった歌デシタゎ(^^;ゞ
(けッ!言われなくても気付いてたっつーのっww)
で、つまりですょ?両歌に込められた想いの真意は、決して“恨み”では無いのデス。
ソレユエに、ソレホドマデに、恋人を、桜の花を、愛して止まない心を現しておるのデス。
・・・解かりますょネ。コレゾ美しき日本のココロ。魂、なのデス。
失いたくはないもの...ダナ...←説得力に欠ける、ってかww
・・・イト、ハカナシ(ToT)
(ノコリ93。・・・今宵は下弦の月にゴザイマス♪←ダカラ何?)
↓↓ キャチ的☆小倉百人一首 ◆◆◆ もくじ ◆◆◆ へGO ↓↓
http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20070708_iqg3.html
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