|
|
07年12月06日(木)
わび。 |
|
< 淡路。
| 田子。 >
|
|
【其の六十五】(No.20) 詠み人:元良 親王
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
身をつくしても 逢はむとぞ思ふ
(ワビヌレバ イマハタオナジ ナニワナル ミヲツクシテモ アワントゾオモウ)
[ギミック] 掛詞:みをつくし=身を尽くしx澪標(水脈つ串)
[通釈]
こんなにも思い悩むくらいなら、もはや私の身がどうなろうとも同じ事だ。
難波の澪標の言葉のように、身を捨ててでもあなたに会おうと思う。
----- おまけ&キャチ的☆解釈 -----
「澪標」は舟の航路を示す杭。難波の景物の一つでアリマス。>>画像2参照。
作者がこの歌を詠まれたのは、うら若き皇子のご時分。
許されざる背徳の愛が、お相手のお父上(天皇だぜぃ)にバレ、引き裂かれたことを嘆き、
情熱的なまでの絶望感をぶつけたお歌でございまする。
キャチの参考にしている書には「技巧を超えた自棄的なもの狂わしさが迫る」とありんす。
・・・ん~~~?そ・かなぁ?“澪標”とかつって、ちゃっかし?掛けてんぢゃんっ。
随分とヨユー有るんぢゃねぇの?
・・・と思ってたらやぱ~り。当たらずとも遠からず。
この皇子は相当の色狂いで、女に手を出しちゃぁこんなお歌を詠んでおられたんぢゃと。
ご自分に酔っていらっしゃったんですなぁ。・・・・・・・キモっ!そして、うざっ!
・・・イト、マサナシ。
(ノコリ35。今日はめつらしく感情の起伏が激しかった。・・・むむぅ、みじゅくっ...orz)
↓↓ キャチ的☆小倉百人一首 ◆◆◆ もくじ ◆◆◆ へGO ↓↓
http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20070708_iqg3.html
|
|
|
コメントを書く
|
| ページTOPへ戻る↑ |
|
|