Raskolniko...さん
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10年11月28日(日)
Pacifism and Pacificism |
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Huxley in Hollywoodの第一章Eyeless in Gaza読了。良い作品、だが事実関係が前後していて(『ガザ』みたいだ)、年号もしばしば抜けているから「良い論文」とは言えないかも。内容は、以下の通り(ほかに書いたものから転載)。 『ガザに盲いて』を書いているときハクスリーはひどく苦しみ、悩んでいた。突破口となったのは、Henry Fitzgerald Heard(ヘンリー・ハード)との交流である。彼は当時すでに歴史、哲学、人類学といった分野をまたいで活躍してきたが、この人物像は、『ガザ』のなかのミラー博士と類似しており、作者の後半生にも大きな影響を与えた。ハクスリーは元来宗教に否定的だったが、徐々に態度を軟化していった。ハクスリーが平和主義を真剣に考えるようになったのは、バートランド・ラッセルが投獄されてからである。彼に触発されてハクスリーも“The Farcical History of Richard Greenow” (1920)という短編を書いた。初めて平和主義を公言したのは、Beyond the Mexique Bay (1934)所収の“War and Emotions”においてである。1920~1935年までをハクスリーの平和主義の第一期と括ることができるが、この時期は、宗教的な反戦運動には反対であった。第二期は『ガザに盲いて』以降である。個々人が自身の努力で平和を創らなければならないというのがその主張であるが、根底には神秘主義がある。ハードのほかに、『ガザ』にはまたフィジカル・セラピストのF. Matthias Alexanderの影響も認められる。ハクスリーはこの作品を終えてすぐに“What Are You Going to Do About It?: The Case for Constructive Commitments”というパンフレットを書き、絶対平和主義を訴えたが、C. D. Lewis、詩人Stephen Spenderらによって非難された。彼らの主張――民主主義を擁護するためにはファシスト勢力と戦うこともやむを得ない――に対して、ハクスリーは、民主主義を軍事的に擁護することは民主主義を実質的に放棄することになると反論している。このような非戦の立場は知識人のなかでもかなりの少数派だった。彼は英国に嫌気がさして、この後米国に永住することになる。その背景には、米国での職業的成功(『ガザ』は米国でベストセラー)の見込みだけでなく、平和主義の可能性をそこに見出していたという事情もあった(cf.ロレンス)。 でもちょっと感動した。この部分は第一章ということもあってハクスリーの子供時代のことや兄弟のことも書いてあって、それも感動的である。 夜になって、『1930年代英国の平和論』を本格的に読み始めた。以上とは全然関係ないが、深夜に筋トレ中、The Resident Patient とThe Red Headed League(途中)のDVDを観た。
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