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13年04月02日(火)
被爆詩人福田須磨子忌、爆心地の詩碑を詣でる |
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尊敬する友人であり、原水爆禁止運動を共にした同志でもある福田須磨子さん逝去から38年が経つ。 雨の中、須磨子碑の前に立ち、在りし日々を偲ぶ。
福田須磨子詩碑
生命を愛しむ
新しき年の始めに しみじみとわが生命愛しむ
原爆の傷痕胸にみちしまま 絶望と貧苦の中で
たえだえに十年 げにも生きて来しかな
悲しみと苦悩の十字架をおい ほそぼそと生命かたむけ 生きて来しこの現実を
奇蹟の思いでかえりみる
“吾尚生きてあり”
ここに座し 一切を観ず
ふきちぎれた魂は 未完の生を夢み 一片の我が生命を愛しむ
<福田須磨子詩集 原子野より>
福田須磨子 大正11年3月23日 長崎市浜口町43番地に生まれる。 昭和20年8月9日、長崎男子師範学校会計課に勤務中、被爆。 昭和30年被爆後遺による紅斑症発病。以来入退院をくり返す。 被爆への怨念と平和の希求、闘いの生涯をこめた「われなお生きてあり」を完成。 第八回田村俊子賞を受賞。
怨の女か、愛の女か。須磨子は、或るいは火の玉となり、或るいは阿修羅となり、戦争への危機と核権力に対して抵抗しつづけた。
昭和49年4月2日死去 52歳 秋月 辰一郎 撰文
<毎日新聞> 反戦、反核を訴え続けた被爆詩人の故・福田須磨子さんをしのぶ 「第38回福田須磨子忌の集い」が命日の2日夕、長崎市松山町の爆心地公園にある詩碑の前であった。 長崎の証言の会や長崎原爆青年乙女の会などの主催で、被爆者ら約50人が参加し、平和活動への誓いを新たにした。
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| 【記録グラフ】 |
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