どーしました〜 >20時半に寝たが、もっと前から座って寝ていたようです(かみさんに言われる) 私もそういう事、たびたびです(≧▽≦) サリン事件を知り、勤務先が近くでしたので、ぞーーーっとしました。
勤務先が近かったですかそれは恐ろしかったですね わが町にはオウム本部がありました 富士宮と言うと今じゃ富士山と言ってくれますが、 遺産登録前にはよく「オウムの」と言われました
疲れがたまっているのかしら、そうですね、サリン事件からもう20年なんですね。 ※私の行っている病院は筑波大学付属病院ですよ。移転する病院は土浦協同病院です。
協同病院ですか
地下鉄サリンが衝撃でした。 お隣のおばあちゃまと何か物騒な事件があったらしいよと話したのを覚えてます。。
私もあの時いつものニュースじゃないと 恐ろしいです オウムの信者白装束今も覚えてます
もう、20年ですか。 20年前は何をしていたのだろうかと考えてみたら 息子が1歳5ヶ月だから 私は、富士吉田市内の半導体工場のクリーンルームで 防塵服に身を包みICチップを製造していた時期と言うことを思い出した。 地下鉄サリン事件、その後山梨県のカミク(上九一色村)の第7サティアンの強制捜査が行われ 大騒ぎになったことを覚えている。 オウム真理教3月25日上九一色大捜索!自衛隊が警察に捜査協力 https://www.youtube.com/watch?v=ZRVU77I-8ko 1995年3月20日、東京都の営団地下鉄(現東京メトロ)の通勤電車を対象にした地下鉄サリン事件が発生し、その2日後、サティアンに警視庁の強制捜査が行なわれ、同年5月16日に麻原彰晃が逮捕されるに至り、サティアンは悉くm取り壊され、翌1996年10月31日限りで最後まで村に残っていた信者らが教団の破産管財人の退去勧告に基づき教団が決めた退去期限を迎えると共に退去、7年ぶりに教団の撤退が実現した[1]。 この大捜査では、数百名に及ぶ警察官(迷彩服(自衛隊から貸し出しを受けた化学防護衣)着用の警視庁・山梨県警捜査員が投入された。)が動員され、多くのマスコミ取材班も現地に派遣された。サリン等の毒ガスの使用も懸念されたため、陸上自衛隊の化学部隊も出動し、村は一時期混乱状態に陥った。連日に及ぶ報道の結果、「オウムの村」として知名度は一挙に全国区レベルになった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%B9%9D%E4%B8%80%E8%89%B2%E6%9... 上九一色村は西八代郡に属していたが、行政のつながりでは富士河口湖町、富士吉田市などとともに富士五湖広域行政事務組合(事務局 富士吉田市下吉田六丁目)の構成村として富士北麓地域に多くを委託していた。 報道陣がわんさか押しかけてきて吉田や河口湖のタクシーは大忙しだったらしい。 タクシー運転手にとっては良い仕事であったな。 息子が1歳半の時、フィリピンに行って百日咳という伝染病をもらって来て 河口湖町の日赤に1週間入院、第7サティアンの強制捜査はそんな頃だった。 テレビカメラの前でオウムの幹部を殺害した韓国人の徐裕行 (右翼) https://www.youtube.com/watch?v=iJ4glbqQqlM
わが町にも本部がありました いまでは、犬の調教練習所になっております 白装束、今も覚えてます