リエさん
最新の記録ノート
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09年04月03日(金)
子どもが先に逝く不幸 |
< 自我の芽生え
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今年1月、母のお友だちがとっても落ち込んでいた。 どうしたのかと思ってたら、なんと12月に息子さんが亡くなったそうだ。 まだ25歳くらい。 気の弱いタイプだったらしく、日頃から会社でいじめに遭っていたらしい。 滋賀で一人暮らしをしていた息子さんが会社に無断欠勤して、 連絡がつかないと会社から電話があり、探していたところ、 琵琶湖で水死体となって発見された。
会社でものすごくつまらないことで同僚といざこざが起き、罵倒され、 琵琶湖に飛び込んで詫びろと迫られたらしい。 12月の寒空の中、こともあろうに飛び込んだ。 そして、そのまま還らぬ人となってしまった。 死因は溺死だった。
そんなことってある?? 遠くで頑張って働いているはずの子どもが突然死んでしまうなんて。 それが、殺人にも近い、そんな理由で。 悔やんでも悔やみきれない。 恨んでも何も晴れない。 あまりにも無念で、本当にいたたまれない。
そして先月、また母の別の友だちが話したいことがあると連絡があった。 昔から家族ぐるみで親しくしていた人で、私も小さい頃、 そこの子どもたちとよく遊んだ。
そのうちの1人、長男が2月にくも膜下出血で亡くなったと。 まだ彼も20代半ばだった。 詳しいことはよくわからないけど、10年近く前にその子は、 バイクで大事故を起こし、奇跡的に命が助かった。 頭蓋骨が割れ、脳が飛び出し、目玉も取れたという話だった。 それでも何の後遺症も残ることなく、本当に奇跡としか言いようがなかった。 今の医学は本当にすごいと思ったし、彼には生きる使命があるのだと思った。
でもそれから何年もの間、実際のところ、親に苦労をかけっぱなしだった。 ろくに仕事もせず、住み込みで働いてもすぐに脱走し、 浪費癖がひどく、多額の借金を作っては親に清算させていた。 あのとき助けられた命をもっと生かして欲しいとみんな思っていた。
その彼が、死んだ。 くも膜下出血は事故の後遺症だったんだろうか。 こんなことを言ってはいけないんだけど、 何だか神様がせっかく助けた命を生かさなかったから罰を与えたように感じた。
年齢を問わず、善悪も問わず、生死の分かれ目というのは本当にわからない。 いい人は長生きして、悪い人は早く死ぬわけでもない。 私も今までに本当に数多くの友人を亡くしてきた。 昨日一緒に笑ってた友達が、次の日にはもういなかった。 もう何年も、何十年も、会ってない。 これから先も、もうこの世で会えることはない。
先に逝ってしまった友達と同じ数だけ、 子どもに先立たれた親御さんも見てきた。 実感としてわかるわけではないけど、その悲しみの深さは計り知れない。 お気持ちわかります、とはとても言えない。 ただ親より先に子が死ぬことが、どれだけ親不孝なことかは理解できた。
今、自分も子どもを授かって、改めて思う。 自分より先に子どもが死ぬなんて、想像することすら恐ろしい。 あり得ない。 あってはならない。 考えるだけで身震いがするほど、決してあってはならないことだ。
母も立て続けに友達の子どもが死んでしまったと聞いて、 本当に人間はいつ死ぬかわからないという思いを強くしたようだ。 明日は我が身、そんな思いもあるかも知れない。
私は大丈夫だよ、と言いたい。 絶対に先に死んだりしないから安心していいよ、と言いたい。 でも、実際これだけはわからない。
でも、リュウは絶対に大丈夫だと言い切る。 我が子だけは、何があっても生きてくれると信じている。 絶対なんてないとはわかっていても、リュウだけは絶対大丈夫だ。
そう信じて疑わないのが、親心というものなのかな。 何だかいろいろ考えさせられる。
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