爺は、世の中に障害者って居ない、或いは全ての人が障害者だと思うんです。 怒られるかもしれないが。 だって、歳を取って耳が遠くなり、目が悪くなるとすれば、視聴覚障害者? 英語を話せなければ、言語障害者?世界の全ての言葉を話せる人って居ないと思うし、 ノーベル賞の栄誉を得た人から比べると、それまでの知識を持っていない人は、知的障害者? 100mを10秒で走れないと、走れた人と比べると、歩行障害者? そういう事で見てみると、全てに対して障害という色分けから外れて当てはまらない人は居ないんじゃないかな? 自分が生まれた事は奇跡であり、自分が行動している事、考えている事を周りの人誰一人実現出来ないと思うんです。 その人がいる事だけで幸せを感じる人って無数に居ると思うんです。 その人が居なければ、自分が手にしているボールペンや紙などはこの世の中に存在しないし、特別な人だと思うんです。
雲爺さん、そうですね。 全ての人がある意味障害を持っていると私も思います。 その視点で言えば私は全てに障害を持っていますし・・・ 他人様に勝てると胸を張って言えるものがありませんしね。 特別いろいろ揃っている人がいたとしても、全てっていう人はいないでしょうし。 何かができるのは偉いですけれど できなくても絶対何かしら良い部分もあるので それを自分自身が気付いて誇りに思って生きていければ とても幸せなことだと思います。 産婦人科に勤めているとき思いました。 この世に生まれてはならない命などひとつもない。 みんなみんな祝福されて生まれてくるのだ、と。
そうでしたか、、、 身体が不自由な方を思えば、こんな○○なんか、と例えてしまいがちですが、 それも失礼な話なのかもしれないと思いました。 共に生きる者として、何も違いはないのかもしれませんね。
話がずれて申し訳ありません。 いただいたコメントで思い出したのですが 息子の障害が分かり始めたころ、よく言われたのが 身体障害の子やダウン症の子のお母さん方は弱音を吐かずに頑張っているのに 貴女は弱すぎる・・・と。 その言葉に傷つき、自信も失っていきました。 励ますつもりなのは分かっていますが 私には逆効果でした。 だからといって優しすぎる言葉も、自分の不甲斐なさに辛くなったことも。 どうして欲しかったのか?私は! 言ってくれた方々に失礼ですよね。 でも・・・もっとも辛かったのが いろいろ言ってきた人たちが 息子が重度の障害とわかった頃から離れていったことでした。 無関心がいちばん堪えるということを身をもって学びました。 学校でもいろいろ学びました。 子どもたちは無垢なので鋭い質問をしてきますが この子はここがすごいよ、私にはできないよ、と感心もしてくれ それは私にも気付かなかったことなので驚きました。 って何が言いたいのか?私・・・ですね。 これに関しては本当に言いたいことがたくさんあり過ぎて 収拾がつかなくなります(;^ω^)