母が亡くなりました【Tosshii55さんの健康管理カラダカラノート】

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08年11月22日(土)

母が亡くなりました

< 国による強制禁酒  | 今日から復帰 >
脳梗塞で1年近く昏睡が続いていた母が、日本時間の日曜日6:30に亡くなりました。77歳でした。合掌。

今年の一月に倒れたときに急遽帰国。その時に最後の別れはしており、覚悟は出来ていたつもり。今回もどんなにがんばって帰っても11月26日の夕方にしか帰れない。
南米にいると何ともしようがない。

今日一日は何も手につかず、酒でも飲みたいが地方選挙があるため前後4日間は酒を販売していない。何かとあつくなりやすい国民性か。自宅に買い置きがしていないため、アルコールが一滴も飲めない。酒でごまかして時間を経過させたいのに、それが出来ず。いつものように山歩きをして時間をつぶした。それと池波正太郎「雲霧に左右衛門」むかしの本は文字が小さくて読みにくい。

【記録グラフ】
深呼吸
5分
深呼吸(分) のグラフ
ウォーキング
12000歩
ウォーキング(歩) のグラフ
体脂肪率
20.5%
体脂肪率(%) のグラフ
睡眠時間
6時間
睡眠時間(時間) のグラフ
体年齢
45
体年齢() のグラフ
内臓脂肪レベル
8
内臓脂肪レベル() のグラフ
基礎代謝
1530kcal
基礎代謝(kcal) のグラフ
体重
64.5kg
体重(kg) のグラフ
カロリー比較
カロリー比較(kcal) のグラフ
コメント
ブルドッグ 2008/11/23 09:40
母上様のご逝去お悔やみ申し上げます。
確かに海外駐在しておいでの状態で大変心残りだったと思います。
 Tosshii55 2008/11/24 07:41
お悔やみありがとうございます。
今年の1月に母が何度目かに倒れたときに、飛んで帰りました。30時間以上かかったと思いますが、さすがに距離を感じました。でもその時に、しっかりと別れをしてきたつもりです。年末に帰国の際には、母の墓参りと父との焼酎を酌み交わすのが目的となります。
grill 2008/11/23 11:43
言葉も見つかりませんが、
お気持ちはお母上様に伝わっていることかと存じます。
ご冥福をお祈りします。
 Tosshii55 2008/11/24 07:45
お悔やみありがとうございます。
今年の1月に倒れたときからすでに脳死状態でした。だから昏睡状態がいつまでも続かず、10ヶ月あまりでなくなったことは本人にとっても、一日に3回病院に通っていた父にとってもある意味良かったのではないかと思います。
打ち水 2008/11/23 16:59
謹んでご冥福をお祈りします。

余りにも離れたところで訃報さぞお辛いことと察します。
 Tosshii55 2008/11/24 07:47
お悔やみありがとうございます。
こんな時には飲んで時間を過ごしたいところですが、上記のように「国が飲酒を規制する4日間」に当たってしまいました。中途半端な「禁酒」を宣言していた罰が当たったようです。
わし☆ 2008/11/24 09:57
お母上のご冥福、心よりお祈り申し上げます。
うちの旦那のお母さんも、今年の夏に76歳で亡くなり、旦那はうちに来ていたため死に目に会えなかったということもあり、なんだかそのことを思い出してしまいました。
 Tosshii55 2008/11/25 10:23
お悔やみの言葉ありがとうございました。

おかげさまで妻と長女が葬儀に参列してくれました。母は、介護の学校の教師として20年弱を勤務。そのためか葬儀には200人近い生徒さんが参列されたと聞きました。母にもそんな半生(50歳を過ぎての20年近く)があったのかと、改めて再認識するとともに尊敬の念を深くしています。

そんな母を支えてきてくれた父が、これから一人で元気に暮らしてくれることが唯一の望みです。
伽草子 2008/11/24 23:02
そうなんですか・・。
お母様のご冥福をお祈りします。
ぼくの母も、僕が23歳の時にガンで逝きました。
危篤を聞いて県外の赴任先から車でぶっ飛ばして帰った記憶があります。
いくつになっても母は母。。いまだに母さんがいればなぁ・・と思うことも多々あります。
辛いでしょうが、頑張ってください。
 Tosshii55 2008/11/25 10:33
伽草子さん、お久しぶりです。

小生は、75年に外大のスペイン語に入ったのですが、そのときからある程度予測していたことなんですよね、もしかして親の死に目に会えないこと。当時は、経済拡大のまっただ中。21世紀は、中南米の時代とか言われていたときで、スペイン語を選んだのもそんなことからきています。

とても保守的な父は、小生が外大を受けることそのものを反対していました。(すぐに了解してくれたのですが)そんなときに、自身も戦後すぐの困難な時代に英語を勉強したかった母は、小生の外大行きを応援してくれました。

小学校・中学校の時に当時は住宅ローンも無く、家の借金を3年で払うために卵を1ダースさえ買えなかった時代のことを思い出します。母が看護婦で働いていたために当時の鍵っ子の走りで、寂しい思いをした兄妹三人ですが、そんな母と父がいたからこその僕らだと改めて思い出しています。
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