takatanさん
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09年02月22日(日)
余命とは?・・・・ |
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春限定「桜ひよ子」(ほのかに香る桜餡)
「余命」という映画を観た後、色々考えているときに、大学教授が書かれたこんな文章を目にした。 『 余命の告知について がんや重い病気では、後どの位生きられるかが話題になることが多い。「余命は後数ヶ月です。」とか、「せいぜいもって半年でしょう。」とか。このような今後の病気の経過を、医療用語では予後という。 情報公開の流れでこのような予後告知も家族や本人に対して進んでいくのかもしれない。しかし、実はこれは情報公開や情報開示の問題ではない。それは、あとどの位の命であるかは医療者自身も本当は知っていないからである。 私は肝臓病専門医として20年以上勤務し、数多くの肝硬変や肝がんの患者さんの病気の進行や亡くなっていく姿を診てきた。入院時に、周囲の医師がこの患者さんはもう助からないだろうとあきらめていた時に、救えそうだと感じそれが結果的に当たったこともあるし、逆に入院時には比較的簡単に思われていた人を早い時点でこの人は危なそうだと感じ、それが残念ながら当たっていたこともある。余命に対する見通しは他の医者に比べてよい方だと考えている。 それでも、私は自分の予想が大きく外れることを何度も経験している。大体、血液検査の数値やCTやエコーなど画像所見に頼りすぎると良くない。むしろ、顔色や顔のやせ方、皮膚のつやなどが大切だと思うことも多い。 そのような状況の中で、余命の告知を医師がしたり、家族や本人もそれを望む場合も多い。テレビの番組などでも、余命何ヶ月といわれたなどと設定されていることがおおいのも影響しているためだろうか。 それでは、何故、余命告知をのぞむのだろうか?』
本当に何故なんだろう? 元気なときは、命がずっと続くと思っている。 でも、どんなに元気な人でも、事故や病気で突然死を迎えることがある。 数年と告知を受けても、ずっと長生きされている人もいる。 自分はどうなんだろう?例え、主治医に聞いても、確実な事は判らないし、信じることもないだろう。 ただただ、自分の可能性を信じて、時間を大切に毎日を生活していく事だろうか? すべては疑問で終わるのだろうか?
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