catyanさん
最新の記録ノート
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08年01月01日(火)
おほけ。 |
< 人も。
| 嘆き。 >
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【其の九十一.】(No.95) 詠み人:前大僧正 慈円
おほけなく うき世の民に おほふかな
わが立つ杣に すみぞめの袖
(オオケナク ウキヨノタミニ オオウカナ ワガタツソマニ スミゾメノソデ)
[ギミック] 掛詞:すみぞめ=墨染x住み初め
[通釈]
身の程に過ぎたことですが、この辛き世を生きる人々の平穏無事を祈りましょうぞ。
比叡山に住み始めて、墨染めの袖を纏い、僧として生きるわたくしが。
----- おまけ&キャチ的☆解釈 -----
「おほけなく」は「身分不相応にも」。
「うき世」は「憂き世」。
「おほう」は「覆う」。
「わが立つ杣」は「比叡山(延暦寺)」を示し、杣は杣山の略。
「墨染めの袖」は墨色に染めた衣で、僧が着る衣。
「おほう...墨染めの袖」で「僧として人々の為に祈りを捧げる」の意となる。
古代の坊主とは、なぜか悲しい。
世を憂い、嘆き、俗世を捨て、そして祈る...
民を憐れみながらも慈しみ、疎んじながらも離れられない。
仏よりむしろ、最も人間に近い人間なのかもしれません。←何言ってんだかサパーリw
そもそも、彼らは本当に神や仏を信じておられたのでしょうか?
祈っても祈っても、届くことのない祈りに、疑問を持つことはなかったのでしょうか...?
「ロスト」という海外ドラマの中でこんな台詞↓が有りました。
『私は“(何かを)信じる者”だ。医師-センセイ-は“科学の人”...“疑う者”だ。』(うろ覚え)
これを聞いた時私は、この台詞に納得しつつも、どこか違和感を覚えました。
“科学の人”もまた“信じる者”いゃ、“信じたい者”なのではないだろうか、と。
信じたいからこそ、疑うのではないでしょうか?
・・・そぅです。背理法なんです。そして帰納法。←これまた何言ってんだかサパーリw
えぇと、つまり?え、何?
つまりね、坊主もきっとね、その声が届かないと証明されぬ限りは、
生涯祈り続けることに価値が有ると悟っておられたのでしょうな、ってこと!
あぁ。うまく言えなぃ...(/_;)
・・・イト、アヤナシ。
(ノコリ9。今日はちかれたょ...)
↓↓ キャチ的☆小倉百人一首 ◆◆◆ もくじ ◆◆◆ へGO ↓↓
http://www.karadakara.com/note/some/record/day/20070708_iqg3.html
2008年 初☆戯れ言日記。
明けましておめでとうございm(__)m
平成二十年 一月二日。
日頃の愚行が祟ったらしく、新年早々病院のお世話になってしまった。
(と言っても患者はキャチでゎ無いがな。)
正月のさなか意外と急患は多く、待合室は妙に騒々しかった。
・・・っていうか、熱を出したらしぃ赤ん坊とそれを取り巻く5名の大人達。
こやつらダケが異常に大騒ぎをしていたのである。
おそるらく、ジィちゃん・バァちゃん・トゥちゃん・カァちゃん・オバちゃん、といった面子。
出掛け先で急な発熱にみまわれたといった所だろうが、ともかくうるせぇのなんのw
子供が泣くのはまるで構ゎんょ。熱が有れば、そりゃぁ苦しかろぅ、辛かろぅ。
・・・んが。その子の病状を周囲にアピールするカァちゃんのその声。
その子をあやすバァちゃんとオバちゃんのその声。・・・ちとデカ過ぎやしないかぃ?
正月の病院x子供の発熱。非日常の異空間でハイ・テンションになるのも判るが
こっちにだって、泣き叫ぶことすらままならない急病人がいるんぢゃぞ...?
とは言え...
ヘタに静かにして頂けるよう依頼をしたりしたら、なんだかツレの病状が(呪いで)
悪化しそぅで...ホンマ空気読んでくれって、帰ってちょ~って祈るのみ...orz
まぁ、なんだ。幸いツレの病状も大事に至ることは無く、午後は全ての予定をキャンセルし
看病がてら、サボり続けた百人一首も一気に七首もコマを進めることとなりましたとさ。
・・・っていう素敵なお話ぢゃょ♪←やけくそ。
てなわけで、今年の抱負...
『?????(ナイショ)』に急遽付け加えて『無病息災』ぢゃ!!・・・マジ病院キライ(/_;)
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