まめさん
最新の記録ノート
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10年03月16日(火)
出産のこと |
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3月1日に無事出産できました
土曜に退院しました
なんだかばたばたした出産だったので覚えてるとこだけでも日記かいておこうと思います
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2月27日
切迫早産で入院して1ヵ月以上経ち、 なにごともなく37週になったら一旦退院できるといわれて うきうきしていた36週のはじめ
16:00過ぎ内診の後、突然倒れそうなだるさ
病室に戻ってNST(赤ちゃんの心音と子宮の収縮を調べる装置)をつけたあたりから寒気でガタガタ ↓ 30分たたないうちに熱が39℃超
いつもより強い張りがグラフにでてきてる、というか痛い 急に息が苦しくなって朦朧とする
まだ産むには早いから子宮の張りを止める点滴の量が増える あとなにかほかの点滴もされてたかも
20:00頃 熱が37度台に下がり、張りもおさまって少し頭がはっきりする
熱でハイになっていたので息苦しいまま実家の弟妹+母とテレビ電話してから就寝
2月28日
02:00頃 また寒気→39℃越えで朦朧とする
05:00頃まで看護婦さんがつきっきりで点滴を調節したり血を採ったりしてくれていたような
その後もなかなか熱が下がらず、ずっと息苦しくてぐったり
旦那が寝たまま水が飲めるペットボトルストローをもって見舞いに来てくれる
テレビ電話で私のむくんだ顔をみて心配した実家の母もミカンもって見舞いに来てくれる
13:00頃 お医者さんが病室にきて 「この急な熱は何かに感染したんだろう いちおう帝王切開の準備もして今から産んじゃおう」という
車椅子で分娩室へ移動 お昼を食べてた旦那と実家の母もびっくりしたまま分娩室へ
入院中ずっとつけていた張り止めの点滴が外され、すぐお腹が痛くなる
なにかの点滴と酸素の管をつけられる
いつでも帝王切開に切り替えられるようにいろいろ準備 背中に麻酔の管が入る
夕方になって陣痛がおさまってきてしまう
ぐりぐりっと卵膜剥離して陣痛をうながす 痛い
「時間かかりそうだから寝ときなー」といわれるけど息苦しくて寝られない
19:00頃 おしるし?らしき血の量に枕元にいた母がやたら驚く
両脚の感覚がなく息苦しさでもぞもぞしては足を分娩台から落としてしまうので 旦那がそのたび拾って戻す
お医者さんが無表情でときどきみにくる 「肺に血栓」とか「血小板が6万」とか「帝王切開はしたくないな」とかいろいろいわれるけど くわしく訊く余裕がなく、よくわからないままずっと点滴
3月1日
01:00頃 内診 破水させる
どんどん陣痛がくる
03:30過ぎ「髪の毛見えてるよーさあ産んじゃうよー はいいきんで!」 麻酔のせいで感覚ないのでやみくもに力入れてみる
03:41 吸引分娩の頭にかぽっとつける道具もつかって 最後はもう私の力関係なくするっと出産!
出てきた赤ん坊は白っぽくて内臓みたい すぐお湯で洗われて赤くなって泣きながら胸の上へ
眼鏡がないのと朦朧としてるのとで、赤ちゃんにピントがあわないうちに ひょいと向こうにつれてかれてしまった
2646g
早産で、2500gないかもっていわれていたので、よかったー とやっとここでじんわり
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出産後も私は個室で面会禁止でいろいろな点滴が1週間は外れなくて ぐったりするわさみしいわ
あとから、お医者さんに 「あなたはなぞの感染がきっかけで血管内凝固症候群になって 出血多くてつなわたりで、ほんとこわかったな 死に損なったんだよ よかったねー」っていわれて なるほど、だから最後は痛がる間もなくあっというまに引っ張りだしたんだなぁってわかりました
予習していたようなお産ではなかったけど 息子もちいさいなりに元気だし、 めでたし めでたし
さてこれからはでてきた息子をなんとか生かしていかなくちゃ がんばります!!
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