芽多忙鰻太郎さん
最新の記録ノート
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08年02月08日(金)
昭和残侠伝 |
< 腹が、、、痛い!!...
| (ジャニスの祈り) >
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【今日の写真】ダットサンバン (写真はネットで探した別モノ)
無免許で広い工事現場内を乗り回した車。現場で買ってもらった私の専用車。
その後、当時現住所が目黒区だったので鮫洲の試験場で免許を取り、ダットサン510を買った。
一つの街を作っていた現場なので、ダンプに乗ってぬかるみに嵌めるわ、ユンボに乗るわ、やり放題で面白かった。
それも全部無免許、今の建設業界では考えられない世界だった。
今ならコンプライアンスが!
当時の建設業界はおおらかだった。
監督も、職人もみんな仲良く飯場生活であった。今、飯場って無いものね。
仕事が終われば、賄いのおばさんの夕食を食べ、その後は、酒を飲みに行くか、マージャンするか、二つしか選択肢がない。
酒は、先輩や、職人さんたちに奢ってもらったが、マージャンは、容赦なく負かされた。新入社員の給料がすってんてんだ。
なんか昭和任侠伝みたいな話ですが、当時の職人さんは、男侠が篤かった。
下手すると仕事師なのか、極道の人なのか、どちらとも判別が付かない曖昧模糊としている人たちが多かった。
現に、ガス屋の親父さんは、いつも日本刀を包帯で巻いて杖にして現場に来ていた。
下請けのユンボの会社の社長は、松方弘樹みたいな顔をしていて、酔うと「柏の繁華街を抜き身(刀)で歩いたのは俺しかいないんだ」と豪語していた。
でも、みんなチャンとした仕事人です。自分の仕事は超一流で、仕事に自身を持っている人たちでした。
私たちの親くらいの年代の職人さんで、総入れ墨の人は結構います。
職人の意地とか、気風とか、誇りとか。そう言ったものは、
なんか、書いていて、何を書いているのか、わからなくなりました。終わり。
【朝ごはん】「駒寄SA上がり」
【昼ごはん】「なし」
【間食】
【晩ごはん】「満福亭」
【夜食】
【今日の感想】
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【記録グラフ】 |
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【食事の記録】 |
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