あれから14年・・・かな? そんなに前のことだとは思えないぐらい、記憶にも鮮明に残る大変な災害でしたな。 あの大地震を乗り越えて頑張って生きておられる方々、そして無念にも亡くなられた方々のために、改めて合掌
決して忘れてはいけない災害。 語り継がねばいけませんね。
そう、今日はそんな日か。そっち方面の仲間がすっ飛んで帰ったっけ。 連絡してみっかな。
すっ飛んで帰られたお友達、交通も遮断された中、無事で何よりでしたね。
そうそう!憶えてる! あの朝大阪出張の旦那を送り出すためいつもより早く起きてTVをつけたの。 彦根であわてて外に飛び出したおばあさんが怪我のニュースだったんだよ。 それがもう飛行機も飛ばずにあんなことになってるなんて・・・・・・・・・・・。 その年の4月1日に ここらは震度5強の地震に見舞われました。
そうそう、新潟の地震も、大変でしたね。 お母様と、妹ちゃんと車ごと。生き埋めの中の、ゆうたくんだったかな? 救出の様子、鮮明に覚えています。 予測もしない、大きな災害、怖いです。
↑新潟の大地震も、忘れちゃいけない大災害だぉね。 数年前に、旧山古志村のそばを車で通りかかったとき、まだ土砂崩れの跡がすごかったのを覚えてる。 小千谷市内でも、あちこちで復旧好事がまだ済んでいない様子だったのを見て、改めて心が痛んだのを覚えてる。 みんな頑張って生きてるんだぉね。
地震は怖い。 何もかも打ち壊す。 いろんな教訓を、教えてくれるけど、あってほしくないです。 復旧も時間かかるけど、心の痛手は、ずっと心の奥に、残りますね。
そうでしたね‥ 明け方だった事もあり、寝ていて家具や家屋の下敷きになった方々が多かった。 もう14年たつんですね。あれ以来耐震性というものに気を配るようになってきました。 次男の幼稚園にそちらの地域の方でご実家に疎開(?)してらした方のお子さんが 居た事を思い出しました。 改めて、合掌。
突然の出来事。 朝早くからの、追悼セレモニー。 ずっとずっと、受け継がれなければなりませんね。
小学校では、毎年1月17日に避難訓練が行われています。 今年は昨日ありました。 子どもたちが産まれる前の出来事を、いかにして子どもたちに伝え、 その記憶や教訓をどのように生かしていくか、 それが私たち大人の役目でもあるのでしょうね。
大人の役目。 そうですね。 記憶教訓。。しっかり伝えねば。
関西の実家はまさに甚大な被害を受けました。数軒隣は全半壊したし。 実家の家族は暗がりの中、倒れたタンスや落下した家財で怪我はしたけれど命は無事でした。家は壁のひび割れ多数、柱・階段の板割れなどかなり傷みました。 その日早朝6時に親からの電話で起こされ「すごい地震だけど大丈夫だから!家は全員無事だからね!じゃっ切るよ!」と言っていた。あわててTVつけたらそのときは死者行方不明者が数名と言ってたのに、時間が経つほどに人数が増えてゆき、空から映像では阪神高速の高架の倒壊、ビル火災の黒煙が生々しく放映され。。その後電話しても2-3日は不通で大変心配だった。母親は親類・縁者に冷静にも次々電話をかけて安否を確認しあっていたようです。 実家にはまだ当時の傷跡がありますが、今では街は復興し落ち着きを取り戻しています。
ご実家が、被災されたのですね。 ご無事で何よりでした。 復旧は、並大抵のことではないかと思います。 頭が下がります。
震災の日、新聞社で勤めていた(今は定年)父は夜中に出勤しました。
新聞社は、報道するのに、必死だったかと思います。 その中、悲惨な事態を、目をつぶらずの報道、ご苦労だったかと思います。
震災は忘れた頃に来るそうです、気をつけないといけないと、新たに思います。
この日のセレモニーがあるたびに、思い出しますね。 教訓、記憶。。。 再び起こってはいけないけど、気をつけなければいけないですね。
コメントありがとうございます! 震災は、あたしが4歳のとき・・・ 命は大事にしないとですね(・ω・)
4歳の時だったんですね。 かけがえのない命、大切にしなくては、なりませんね。