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10年04月12日(月)
遣唐使 |
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< 密約
| チョット いい話 >
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【今日のできごと】 ・朝から、一日中 雨 サクラ散らしの雨となった。 ・井上ひさしさん 逝く ひさしさんのモットー むずかしいことを やさしく やさしいことを ふかく ふかいことを ゆかいに ゆかいなことを まじめに
【今日の感想】 遣唐使は倭国が唐に派遣した朝貢使で、630年~894年の間に20回程にわたりおこなわれたが、このうち数回は船が難破するなどしている。 遣唐使船は竜骨を持たない平底のジャンク船に似た箱型構造で 簡単な帆を付けていたが、横波に弱く無事に往来できる可能性は低かった。 一行は4船編成で、一艘には100人程度が乗り組んだ。先のNHKドラマ「大仏開眼」の主役・吉備真備(吉岡秀隆)は717年と752年に2度, 渡航しており、2度目の帰路には「鑑真」が一緒に来日している。しかし、この時、阿倍仲麻呂は途中で難破、帰らぬ人となっている。 804年には「最澄」と「空海」が、そして、最後の894年には菅原道真が渡航しているが、その後、唐が衰退し遣唐使は行われなくなった。 このおかげで、我が国は海外情報を入手し、中国の先進技術を取り込み、仏教経典の収集などが可能となった。 (Wikipedia 参照)
<追記> 遣唐使の中麻呂が唐に渡ったのは 717年、19歳の時、753年に有名な歌「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山にいでし月かも」は 帰国が決まった時、送別の宴で詠んだとされる。しかし船が難破して渡航に失敗、その後も帰国はかなわず、770年 72歳で没した。 「悲運の人」のイメージがあるが、唐では、日本人としては異例の出世を遂げ、華やかな生活をしていたようだ。難関の科挙に合格して、晁衡 (ちょうこう)という中国名を名乗った。学才を玄宗皇帝に愛され、秘書監や安南節度使(ベトナム最高司令官)などの要職を歴任した。 さらに、李白や王維など、当時の唐の代表的詩人らと親交を結んでいたというから驚きである。
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