阪神淡路大震災【さのっちょさんの健康管理カラダカラノート】

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08年01月17日(木)

阪神淡路大震災

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[阪神淡路大震災]
13年になる。
その時、九州でも、少し揺れた。
約5000人の方が、犠牲になられた。
テレビ番組は、ほとんどが、震災の内容だった。
その事を知って、多くの国民が、涙した。
今は、綺麗に、何事もなかったかのように、復興している。
しかし、傷は、いつまでも、消える事はない。
改めて、ご冥福を、お祈りします。
共に、震災で助かった方の、ご健康を、お祈りします。

【記録グラフ】
体脂肪率
36.4%
体脂肪率(%) のグラフ
体重
59.7kg
体重(kg) のグラフ
 
コメント
はりそん705 2008/01/17 13:57
本当に。ご冥福を、お祈りします。(^人^)

大災害が起きた時に、どんなことが起きるのか
?火事が一番怖いです。
せめて防災グッツ備えるしか出来ませんよね。
防災意識を持ち続けるのって難しいけど、備え
あれば…。ですよね。(^_-)-☆ 
toto 2008/01/17 14:12
さのっちさん 今日は

そうですね。あれから13年経ちますね。
心から亡くなった方のご冥福を祈りたいです。

少し震災にまつわる話にお付き合い下さい。

学生時代に仲の良かった友人が一番被害が大きかった地区に住んでました。連絡が取れず安否は全く判りません。
さりとて捜索に行ける筈も無く、毎日テレビの報道に目を凝らし、亡くなった方の名簿にその名が無いか、画面に映りはしないかと。
数日たって留守中の家に一本の電話が。「俺は元気でいる。実家の方に家族全員避難中。○○が心配していると思うから心配せんでいいと言うといて」。彼からの伝言が嫁さんから会社にいる私にきた。
思わず涙が出ました。自分が大変な中こちらの事に気を使って電話をしてくれた。自分なら出来ただろうか。
こいつは一生の友人やと思いました。

com 2008/01/17 16:34
もう、13年ですか。 

そのとき、夜も眠れないほど好きだった人が、阪神大震災関連で出張して、お土産に神戸のチョコがあるといわれたけど・・・ 

まだ、貰えてない。(もう、もらえないよね) 

その年以降、バレンタインを廃止した。 

いやいや、あのとき、早起きして、テレビ観てました。人の命の大切さとか、奇跡的に助かったとか・・・ 
ずいぶん前に行った淡路島の震災のときの亀裂。 
なくなられた方の無念さとか、ご家族の悲しみとか。 
13年。 
忘れてはいけないことですよね。 
deppara47 2008/01/17 16:39
はじめまして。こんにちわ。

「明日は我が身」という言葉をいつもこころがけてますが、
しかし、平和ボケしてる自分に気づくんです。イケナイな~。

犠牲になられた方の、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ボンド88 2008/01/17 17:42
もう13年なのですね。月日の流れを感じます。

あの日、こちら(京都)も震度5で、すごく長いことゆれていたのを覚えています。

その時、神戸には親戚やら友人やらいましたが、皆無事で本当に良かったと思いました。

しかし不幸にして亡くなられた方もおられます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
flo 2008/01/17 17:46
淡路島地震のときは、TVを見ながら胸が痛みました・・・
本当に被害の大きい地震でした・・・決して忘れてはいけません。
新潟地震のときは、連絡取れなくて手紙を出したら、無事だと連絡が来ました。
郵便やさんに感謝しました。
今でも不自由な暮らしをされている方が多いと聞きます。

みんな幸せになるといいな・・・と思いました。
みみみどり 2008/01/17 20:17
ちょうどその日の朝夫が彦根に出張する予定で(飛行機で)
朝のTVニュースでは『彦根で1名けが人が出ている模様』とだけ(状況がつかめなかったのか)
『パパ~地震だってぇ』
一応新潟空港まで行ってみたけど欠航で・・・・・・。
その年の4月1日この辺も震度5強の大地震があり、我が家の電子レンジが
3メートル程飛びました。
さのっちょ 2008/01/17 21:20
はりそんさん

明日は我が身。。
3年前、福岡西方沖地震で、すっごい揺れ。。
パニックになりました。
防災の必要性を感じました。
他人事ではないですね。
リエ 2008/01/17 22:08
震災2日後から現地に入りました。
それはそれは、悲惨な光景でした。良くも悪くも素の人間を知りました。
テレビでは報道されない現実がそこにはたくさんありました。
あの頃、無邪気に笑っていた子どもたちも、もう大きくなったんでしょうね。
3歳くらいの女の子が「おじいちゃんがタンスから守ってくれたのー」
と、何もわからず、ニコニコ話してくれました。
その後、おじいちゃんの救出が遅れて、そのまま亡くなってしまいました。
そのことを、今はどう感じているのかなと時々思い出します。

私の人生にとっても、今日という日はとても大きな大切な日です。
サボテン 2008/01/17 23:37
もうそんなに経つんですね…。
私はその頃小学生でした。一瞬で街があんなになってしまうなんて信じられなかったです。
私の方は関東なので、揺れは全然感じなかったのですが、
あの瞬間にそんなに多くの人が亡くなられたと思うと…とても胸が痛みます。
生き残られた方も、ものすごい恐怖を味わわれたんだなぁと思います。
地震が起きるのは仕方の無いことだけど、たくさんの犠牲者が出ないように、
これからのことを考えていくことが大事なのかなぁと思いました。
mommomo 2008/01/18 02:11
被災された方が、1年も13年も、同じです...と答えられていました。
きっと、気持ちはその時のままなのでしょう。

時が癒してくれるにはね重すぎた被害でした。

地震国に住んでいる以上、明日は我が身です。
教訓を生かさなければ...。
さのっちょ 2008/01/18 11:30
totoさん

ご友人、連絡つかれてよかったですね。
totoさん、ご友人の、おたがいの親交が、この震災から、一層深まったのが、実感として伝わりました。
あの頃は、毎日、テレビ、新聞の報道がなされ、目を離すことができませんでしたね。
家の近所の方も、神戸にいらして、大変心配していました。
安否が確認されて、ほっとしたことを思い出します。

日本中が、この震災で、悲しみに包まれていましたね。
さのっちょ 2008/01/18 12:02
comさん

月日がたつのは、早いですね。
三男を12月に出産して、翌年の1月。。。
子供におっぱい飲ませながら、ドキドキして、テレビを食い入るように見ていました。
忘れもしません。

震災によって、生死を分けられ、命の大切さ、ありがたさを、。。。。。なんとも言えませんね。
ずっとずっと、忘れられないことです。
さのっちょ 2008/01/18 13:16
deppara46 さん

明日は我が身。
福岡西方沖地震で、身にしみました。
他人事ではないですね。
さのっちょ 2008/01/18 14:05
ボンド88さん

御親戚、ご友人、ご無事でよかったですね。
しかし、無念にも、無くなられたかたがいらして、複雑な心境だったかと思います。
震災を通して、いろんな思いと、経験をされ、これから、どう対応していくか、考えさせられました。
さのっちょ 2008/01/18 18:50
pino9さん 

被災地に、御親戚、ご友人が、いらっしゃると、よけいに、他人ごとではなくなりますね。 

テレビ、新聞の報道を見て、胸が痛くなる思いでした。 

いろんな関係者が、復興に向けて、頑張られて、頭が下がる思いです。 

今でも、不自由な暮らしをされている方、一日でも早く、いい方向に向かわれることを、心より、お祈り申し上げます。
さのっちょ 2008/01/18 20:10
みみどりさん

危ういところでしたね。
それが運命なのでしょうか?

新潟も、大きな地震に遭遇され、怖かったかと思います。
その時、兄が石川県に住んでいて、佐渡旅行で、お風呂に入ってる時に、中越地震があったそうです。
大変怖かったそうです。
震源地付近の、みみどりさんも、大変怖かったことでしょう。

いつどこで、災害が起こるかわからない、ホント、明日は我が身。
災害への備えは、必須不可欠なものと思います。
さのっちょ 2008/01/18 20:22
リエさん

実際に行かれたのですね。

なんとも言えない、凄惨な状況だったことでしょう。
子供さんの、言葉、無邪気な言葉こそ、その裏付けられた状況、胸が、張り裂けるような思いですね。

特に若いころでの体験、一生、脳裏に焼き付けることかと思います。
テレビで見た私も、一生忘れられない、大事な日だと思いました。
さのっちょ 2008/01/18 20:37
サボテンさん

一瞬にしての災害でした。
胸が締め付けられる思いでした。
テレビの、キャスターの方が、今にも涙が出そうになっていらしたことを、思い出します。
大阪の方だったかと思います。

また、消防の方、役所の方、自分の家族が犠牲になっても、動かざるを得ない。。。。。。
大変さを、通り越していました。

震災に強い建物。衣食の備蓄。。。。。
これからの、教訓となりました。
さのっちょ 2008/01/18 20:42
momo.さん

被災した時の恐さは、一生忘れられませんね。
福岡西方沖地震の時のこと、うちは、震源地ではありませんでしたが、今だに、時々地震のことが、フラッシュバックとなっています。
福岡よりも、大きな地震にあわれた土地の方は、もっと怖さがよみがえられることでしょう。

時が過ぎ、忘れられるとともに、残しておくことも大切かと思います。
それ以上に、教訓を生かさなければ、いけないことと思います
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