終戦記念日【ブルドッグさんの健康管理カラダカラノート】

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08年08月15日(金)

終戦記念日

< ヤッター!  | 話も工夫しだい >
個人的な記憶としては「終戦の日」は殆ど記憶がない。記憶は小学3年からの疎開生活、ひもじい思い、原爆きのこ雲、戦後
学校で使った墨をぬった教科書、などと続いており8月15日に限っての記憶は本当に少ない。
記憶にあるのは
 ・戦争に負けてどうなるんだろうと母親が母屋の奥さんと話しこんでいた
 ・夜の灯火管制がなくなって明るくなったがそれでも早々と電灯を消して休んだ事
 ・翌日川で泳いでいたらB-29の編隊が川に沿って北上していた。銀色に輝いて綺麗と思った。
 ・1ページの新聞が16日の朝「終戦の詔書」を一面に大きく報じていた
 夕方から妙にけだるい感じで日本は負けたのかと思い込もうとしていた。
 その頃はそんなことより原爆の被害の恐ろしさが目の前にありそちらのほうに気をとられていたような気がする。
 敗戦を実感するのはもっと後で米軍が原爆のセンサーの回収にジープで来たときからであった。(進駐して即日)
サラリーマンになってから東南アジアの諸国で8月15日が解放の日とか独立の日とかになっており日本の敗北がこれらの国にとっては記念すべき日であることを知り、戦争の持つ意味を考えさせられた記憶がある。仲良くなった現地の人から戦争中の日本軍の
暴行、虐殺の話しなどを聞かされやりきれない思いになったことも再々あった。(しかも語ってくれた人の肉親・親戚が被害者の場合もあった。)
本当に戦争は絶対にすべきでないと改めて思う。


【記録グラフ】
ウォーキング
45分
ウォーキング(分) のグラフ
体重
62kg
体重(kg) のグラフ
 
コメント
さのっちょ 2008/08/15 23:46
「愛する人を奪われて 悲しみ永き一生過ぎ来つ」 

母の短歌です。
いいなずけがいたようで、出征する前に、同級生だった亡き父に、母を託されたようです。。。
ブルドッグ 2008/08/16 07:26
有難うございます。統治の若い人たちには本当に苦しい人生だったと胸が痛みます。
grill 2008/08/16 08:14
平和な時代に生まれて、それが当たり前のことだと感じてしまっている。
リアルな記憶を語って頂くことで反省させられます。
近代史、もう少し読み進めよう。
longingly8 2008/08/16 08:52
せめて、この時期だけでもブルドッグさんの体験から
戦争というものの実態を感じ取っていきたい。
被害者としての報道がつよいが、一方で加害者でもあったことを忘れてはならないとも。
めぱんだ 2008/08/16 13:24
ブルドッグさん
 こんにちは。「龍沢寺」の情報を有難うございました。
 調べてみましたらたいへんな名刹なのですね、知りませんでした。
 太平洋戦争終結時の「耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び…」のあの言葉を
 提言されたのも時の老師 玄峰老師だということも初めて知りました。
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