こんなはずじゃないさん
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10年07月07日(水)
英語。 |
< Don't mov...
| また一人ぼっち。 >
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どんぐりさんの先日の日記を読んでたら、 ふとアメリカに越してきた頃のことを思い出した。
ある日父ちゃんが 「アメリカに開いた会社に、会計やってくれる奴がいるねんけどお前行くか?」と言ってきた。 「げっ、会計?私、数字はめっぽう苦手だし、英語もしゃべられへんやん。 それにアメリカ行ってみたいけど、ずっとは嫌やな~。」と言う私の返事に、 「日本の会社の支店やし、英語より日本語で日本とやりとりできんとあかんねん。 会計言ったかて、小さい会社やから一日に3,4件の支払いしたらええだけや。 会社が軌道に乗って現地でちゃんと信用ある奴雇ったらお前は帰ってきたらええがな。」 そんな甘い言葉に完全に騙されて、 お馬鹿な私は「アメリカに住むなんてカッコいいやん。 2年ぐらいいて英語しゃべれるようになって帰ってきたらいいか。」 それだけでやってきた。
最初に思っていた2年って言うのは、 単に当時バブルで遊学が流行っており、それに行った皆がだいたい1年で帰ってくるから、 なんぼ覚えの悪い私でも、現地に人の倍いたら英語くらい話せるようになるだろうと思ったから。 でも現実はそんなに甘くはなかった。 小、中、高と学校で習った英語は、文法以外は何の役にもたたなかった。 だって外人が言ってる英語が聞き取れないのに、 こっちが一方的に覚えてる会話表現を駆使して話しても、当然会話にはならないのだ。 最初は人が話してるのを聞いても、分からないことが何かすら分からなかった。 でも暮らしていくにはなんとかしないといけないから、 悲しいも嬉しいも怒ってるも全部顔で表現し、身振り手振りはイタリア人もびっくりな大げささ。(笑) 失敗談なんて数知れず。 とりあえずRとLの発音が全く通じないからガソリンスタンドでレギュラーが通じない。 お金もないのに高級なプレミアムを注文してみたが、やっぱり通じない。 「お前ガススタやねんから、ガソリンしか売るもんないねんで! 人の発音が少々悪かろうが、ちょっとくらい頭使えば分かるやろ!!!!」と怒り心頭。でも言えない。>< ガソリンスタンドでバイトしてるような兄ちゃんが、そんな気を回してくれる訳もなく・・・。 以来、未だに私はプラスを給油する。(アメリカにはレギュラーとプレミアムの間にプラスってのがある。)
パートタイムで通った大学付属の語学学校は本当に良かった。 入ったらいきなり先生が生徒全員に向かって言ったのは、 「ここはアメリカ英語を教える学校で、外国から来た人たちがアメリカで生活をするための英語を教えるとことよ。 だからアメリカのアクセントを教えるし、アメリカ人が使うスラングも教えます。 例えあなたが使わなくても、あなたたちは人が話していることを理解する必要があるのだから。 もしあなたがイギリス英語を学びたければ、ここはあなたの来る場所じゃないわ。」 はは~ん。な~るほどぉ~。妙に納得した。 語学学校に通い始めて3ヶ月くらい経ったある日、はたと 「あら?今日の私、なんだか人が言ってることがちょっと聞こえるかも。」と思った。 そこからは、自分が何が分からなかったのか分かりだして、 やっと「今なんて言ったの?」「それどういう意味?」って聞けるようになった。 すごく嬉しかった。 でもアメリカに来て2年がたったとき、 私は自分の英語力が「しゃべれる」ってレベルに達してないことを知っていた。 だから帰りたかったけど、「もうちょっとしゃべれるようになってから。」そう言ってここに残った。
そして15年の月日が流れ。 まだアメリカにいる。 しかも英語、日常会話しかできない。 生活や普段の仕事はできるけど、論文書けとか専門書訳せなんていわれた日にゃ~、卒倒してそのまま死ぬ。 まあ私を知ってる人は、間違ってもそんなこと頼んでもこないけど。 夢を英語で見るか?ってときどき日本人に聞かれるけど。 ん~な訳ないじゃん! アメリカ人の友達の夢も見るけど、私のアメリカ人の友達は、私の夢の中では日本語ぺらぺら。 毎日ちゃんと日本語で夢見てます。
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