asakomamさん
最新の記録ノート
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13年02月23日(土)
父のこと。 |
< わが家の食事情等。
| 寿がきや。 >
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父は昨年末に亡くなりました。 1年前の交通事故が原因で、高次機能障害、脳挫傷になりました。1年と少し、寝たきりで、最後は老衰で霊山へ旅立ちました。 亡くなって暫くは、まだ父がすぐそこにいるような気がしてなりませんでした。最近になって、やっと現実を受けとめることができるようになりました。
父は大工をしていました。 休日を返上してよく働く人でした。昔は今と違って、大工の仕事が多い時代でした。よく、たてまえの折詰を箸もつけずにもちかえってくれました。わたしは、鯛の尾頭つきが好きでした。 思春期の頃は父の仕事を恥ずかしく思いました。よそのおとうさんは背広を着て綺麗な仕事をしているのがうらやましかったです。 父の作業着姿が恥ずかしかったです。
前にも書きましたが、わたしは母から過剰な虐待を受けて育ちました。 ある真冬のことです。何かのきっかけで、わたしは厳冬の中、外の田圃に放り込まれました。 真夜中の寝ているところを起こされたのです。 母の暴力は突然、始まるのです。それは父にも止めることができません。 追い出されたわたしを、父は大工の道具小屋に入れてくれて、毛布をかけてくれました。 父がいなかったら、きっと凍死していたでしょう。
父は頑固で大酒飲みでした。 毎晩、日本酒を1升空けて、それから丼飯をかきこんでいました。 母との仲は良くなかったと思います。 それでも離婚しなかったのは、当時、離婚は認められない時代だったからだと思います。 父がお酒を飲んでいるのを見ているのが好きでした。
毎日、父のことを思います。 そして毎日、父のために追善回向をします。 さみしいなと思います。
饅頭屋の長男として生まれた父。 弟ふたりが極道で、饅頭屋はつぶれてしまいました。 本当だったら饅頭屋の跡取りとして生きてきたはずなのに、大工にならざるをえなかったようです。
残された母は認知症で要介護1です。 わたしは母とは絶対に同居はしたくありません。こんなわたしは親不孝でしょうか?
きょうもみなさんにとって、よい1日となりますように!
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