Ayako_kさん
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19年05月01日(水)
二重払い?/コパン遺跡 |
< チャイルドと交流
| コパン→テグシガル... >
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本日からは、ほぼ純粋に観光と帰路の旅。 気分としては、自分主催のイベントが終わったので、リラックスモードである。 朝食後、コパンへと移動。 本日のドライバーは、MCツアーズのヴァルテル氏。明日のコパン→テグシガルパの移動も彼がやってくれるとのこと。 昨日の移動中、気になっていたお菓子があった。 トイレ休憩のガソリンスタンドにそれがあったので、増元さんと種類を変えて購入して、車内で分け合った。 トウモロコシの堅いせんべい。ドーナツ形の味なしと、南部せんべいの形の黒蜜がけ。それに、ドーナツ形のトウモロコシのモロコシクッキー。 大き目の袋にトウモロコシの堅いせんべい2種類が入って、40レンピーラ(約200円) コパンでは、私たちは日本の皇室の「まこ様」が泊まったというホテルにチェックイン。 本日は、ホテル昼食も料金に含まれているという。 増元さんも、自払いで昼食に付き合ってくれた。 それぞれのホテルで身支度を整え、コパン遺跡に車で出発。 コパン遺跡では、遺跡ガイドの方が待っていた。 コパン遺跡は、マヤ文明とアステカ文明の遺跡が残る場所だった。 ガイドいわく、マヤ文明と日本の文明は、相似点がけっこうあるとのこと。 言葉遣いの共通点や、それぞれ蒙古斑があったりするそうだ。 マヤ文明では、動物を神様とあがめている。 太陽の神様はコンゴウインコ。 このコパン遺跡では、コンゴウインコが放し飼いされていて、そこここにコンゴウインコがいた。 餌場にもちらほらいて、かなり接近しても逃げなかった。 あと、遺跡エリア入り口にはなぜか一羽の七面鳥がいて、これまた逃げずに我々を出迎えてくれた。 七面鳥、放し飼いになっているのをちゃんと見るのは初めてで、興味深かった。 コンゴウインコの声は「ギエエ!グエエ!」という、可愛らしくない声で、ギャップが面白かった。 この遺跡、いたるところに巨木が生えているが、かつては白いアスファルトで舗装されていたとのことだった。 あと、こちらの王族や高貴な方々の埋葬方法が、家の中央に埋葬エリアを設け、人が無くなるとそこに葬り、周りをふさいで、上に床を作ってその上に住む、というのを繰り返していくとのこと。だから、昔の王様ほど地下深く埋葬されているのだそうだ。 あまり広くないサッカーの球戯場を見学する。 ゴムの樹脂から作った、重いサッカーボールをけり合う競技。 王様の前での御前試合で、宗教的な意味があった。 競技者は聖職者で、ボールを的のコンゴウインコを模した石像に当てたほうが勝ち。 勝ったチームのリーダーは、首に青い塗料を塗り、首を切られ、絶命する。 昔のマヤ文明では、王の前で殺されることは、「死んで神様になる名誉な行為」と考えられていて、聖職者たちは競ってその競技に出場したという。 これが、時代が後のほうのアステカ文明では違っていて、アステカ文明では他国を侵略し、捕まえた奴隷を競技させて、負けたほうの首を切っていたとのこと。 兎王の石像が複数あるエリア。これの影で、時刻や暦を正確に測定し、カレンダーにはうるう年もあったそうだ。 マヤ文明は、王族は近親婚の習慣があり、近親婚特有の特徴として、奇形も多かったそうだ。 ガイドの足は、それぞれ6本と7本あるとのこと。つまり、王族の末裔なので、時代が時代ならガイド氏と私たちはまともに会話もできなかったのですよ?とジョークっぽく言ってくれた。 外の遺跡をしばらく見た後は、博物館に入る。 こちらには、外の遺跡の王様の像の本物(外のはレプリカ)が複数展示されていた。 博物館は、完全に密封された空間ではなく、遺跡を保護するために一か所に集めて、屋根と壁を施した感じの施設で、屋根と二階の壁の間には空間があり、鳥は自由に飛び回っていた。 本日の事件。 コパン遺跡のガイドから、42ドルを請求される。現金で。 あれ?そういうのは事前に旅行会社に払ってた筈だけど? 増元氏から、「お金はありますか?」と聞かれる。 ありますと答えた。話が通じてないのなら、まずは払うしかない。 増元さん「ここは一旦払っても、領収証は必ずもらったほうが良いですよ」 了解して、ガイド氏に20ドル紙幣3枚を渡したところ、ピンハネもせずきちんと18ドルのおつりをくれた。 そして、領収書をもらう。 ホテルに戻って、改めてオーダーで作ってもらっていた旅行案内書の日程と、グーグルメールでもらっていた添付資料の旅行企画書を見比べる。 企画書には、「旅行代金に含まれるもの」の中に「日程に明示されているガイド料」とも書いてあった。 日程には、コパン遺跡は「英語ガイド、日本語通訳同行」とある。 日本語通訳は、増元さん。英語ガイドはコパン遺跡で説明をしてくれた人ということになる。 つまり、旅行会社側から、ひとつひとつのガイド料とかの明細は提示されてないけれど、企画書の文言と、日程表を照らし合わせると、これは事前に支払った金額に含まれていて、現地で現金で支払うべきものの中には含まれていないとしか理解できない。 増元さんのほうも、依頼された内容のメールをホテルでプリントアウトしてくれていた。 そちらを見てもやはり、現地ガイドの料金は支払い済みで、現地で現金で支払うものはないとのこと。 夕食の前半の話題は、もっぱらそれになってしまった。 日本語通訳のおじさまが、私たちより憤慨されていて、明日朝、現地旅行手配会社に乗り込んでクレームをつけに行きましょう、という話になった。 今夜のフリフォーレスも、チーズフォンデユスタイルで、更にソーセージを切ったものも入っている。 昨日と違って、ぐつぐつに煮えている状態で、ちゃんと下に大きな火もともっていて、アツアツを美味しく頂いた。 夕食の席で、明日からのことについて打ち合わせ。 治安はかなり治まってきているとのこと。 5月3日の案内人が「きべ」さんだと伝えると、増元氏「ああ、彼なら安心です。私の海外協力隊の先輩で、テグシガルパで「宇佐美」という日本料理店をやっています。顔合わせを兼ねて、テグシガルパについたら「宇佐美」に行ってみるとよいですよ」と勧めてくれた。
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