asakomamさん
最新の記録ノート
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13年10月01日(火)
アボカドの葉。 |
< 輝いた季節へ旅立と...
| 過食日記。 >
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わたしがパソコンに向かうこの時間、部屋はダウンライトだけの明かりで薄暗い。 夜食を食べた娘も早々に寝室に向かい、わたしはひとりぼっちでリビングの片隅にちんまりしている。
わたしの住むこのマンションは、ちょうど繁華街と住宅地の境目にある。 ベランダからは暗闇のなかに常夜灯がぼんやり浮かび、反対の玄関側の窓からはネオンの明かりが煌めいている。 道を挟んだ向かい側にある整体院は夜中の2時まで営業している。 時々行き交うトラックのシャーというタイヤの音が耳に残る。 酔客の声がやけに大きく感じる。
アボカドの水耕栽培を始めて2カ月くらいになるだろうか? やっと根がつき葉が開いた。 あの大きな丸い種からこんな頼りない葉が出てくる様は、自分の奥に芽生えた小さな命を彷彿とさせる。 最初の子を宿したのは結婚してすぐのこと。 双子で切迫流産の危険があるとのことで、1か月ほど産婦人科に入院した。 心拍が確認されたのはひとつだけで、もうひとつの命はわたしの身体に吸収されていった。 初めての妊娠で、胎動を感じたときには天にも舞うがごとく喜んだものだ。
わたしは手書きの日記を、結婚してから25年間ずっと書き続けている。 そこには、誰に読まれるでもない素直な自分が綴られている。 若いころのわたしはまっすぐだった。 日常生活の些細なことに感動し、苦悩し、解決していった。 ところが歳とともに、人間って狡くなるもので、偉大なる楽観主義者へと変わってしまった。
わが家は植物が育たない。 戸建ての家にいるころも庭にチューリップやらスミレやらを植えたものだが、すぐに枯らしてしまった。 観葉植物も育たない。 もう長いこと緑のない生活に慣れてしまった。 カラ友さんからアボカドの水耕栽培のことを教えてもらい、何気なく試しにやってみた。 丸い大きな種に爪楊枝を3本刺して、水を張ったマグカップに浮かべた。 エアコンの室外機の上に置いて、水を絶やさないようにした。 アボカドの成長が嬉しい。 久しぶりに感動した。
もう10歳になるだろうか、飼い猫の食欲がない。 1週間くらいになるだろうか、餌をちょっぴり食べるだけで寝てばかりいる。 ひとつの命が失われていくのだろうか? わたしは延命はしない主義だ。 昨年末に亡くなった父のときも同じだ。 交通事故から高次機能障害になった父は日に日に体の機能が衰えていった。 亡くなる数時間前に見舞って、その日の夜8時半に亡くなっている。 死因は老衰。
この歳になると「生死」ということを考える。 命ってどこに消えてしまうのか、またどこから出るものなのか。 人間は誰しも避けては通れない問題だ。 秋の夜長に、あれこれと思いを巡らすのもよいのではないだろうか。
今日もみなさんの健康と幸せを祈りつつー。
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