わかりもんさん
最新の記録ノート
|
2009年 |
|
|
4月 |
|
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
|
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
|
|
月別に見る
タグ別に見る
|
09年04月28日(火)
懐疑的に語られた夢 |
< 微熱にくるまれなが...
| ヒッピーに捧ぐ >
|
|
風邪がいまひとつ治らず、 午前中はお休みをもらって注射を打ってもらいました。
あいかわらず身体は微熱の中。 春らしい柔らかな陽射し、 ひと気の少ない平日朝の郊外の風景、 それらもあいまって、どこか夢見心地な感覚です。
とはいえ、そこは現実。 出勤したら、そこは現実なのであって (^_^;) 覚めてみると、夢っていうのは、儚いもんです。
帰宅後、前に買った新潮臨時増刊の『小林秀雄・百年のヒント』をパラパラと読んでみました。
小林秀雄って、ほんと厄介な人です。 下手に心酔しても、半端に反発しても、うまくいかない。 論じているこちら側が、むしろ薄っぺらく見えてしまう。 その点、坪内祐三の「小林秀雄への距離をうまく掴めない」などは、 どこか自分の気持ちを代弁してくれているようで、素直に読めました。
《批評とは竟に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか》。 小林秀雄は処女作で、そう書いていたんだっけ。
「懐疑的に語られた夢」。 結局のところ、これ以上にうまく、この作家を評した言葉を僕は知りません。 27歳にして、これほどまでに完璧に自らをあらわす言葉を見いだした才能には、嫉妬さえ覚えます。
批評対象の距離からいっても、精神分析との関係をとっても、時代との付きあい方を見ても、 彼はずっと「懐疑的に語られた夢」の側にいた。そんな気がするのです。 夢や無意識を根拠に、現実を裁くこともなく。 現実を引きあいにして、夢を嘲笑することもなく。
以前は、僕も「懐疑的に語られた夢」を「自意識の球体」とパラフレーズして読んでいました。 でも、それでは何か大切なものを読みおとしてしまう。そんなふうに今では思っています。
僕もまだ、夢見心地から覚めていないみたいです。
|
|
【記録グラフ】 |
|
【食事の記録】 |
|
コメントを書く
|
ページTOPへ戻る↑ |
|
|