ヒッピーに捧ぐ【わかりもんさんの健康管理カラダカラノート】

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09年05月03日(日)

ヒッピーに捧ぐ

< 懐疑的に語られた夢  | 記録再開。目標は・... >
ヒッピーに捧ぐ 画像1
キヨシローさん、おつかれさまでした。
ずっとあなたの「ライブ」を見ていたかったけれど、
ステージの上でも、ステージをおりた後も、
あなたはきっと最後まで汗だくで歌っていたのだと思っています。
だから今はこの言葉しか浮かびません。
おつかれさま。そして、ありがとう。

いつか見たライブの映像。
「キヨシロー、俺たち、お前と同じ時代に生きててホント、ラッキーでした」って、
チャボさんが、そんなことを言っていたのを思い出します。
僕も、いま同じ気持ちです。

もちろん、僕はRC世代ではありません。

僕にとって、リアルタイムの忌野清志郎は
奇妙にテレビという空間が似合ってしまっている「不思議なおじさん」でしかありませんでした。
まわりにRCを聴いてる奴なんて、いませんでした。
キヨシローさんは、まるで「僕の好きな先生」の先生のように、そこにいたのです。

だから尚更、高校のとき聴いた『シングルマン』は衝撃でした。
「同じ時代に生きている」歌を見つけた。そんな気がしました。
ROCKやBANDという言葉が連想させる「カッコ良さ」も、
Jポップの口当たりの良さも、そこにはありませんでした。

《市営グランドの駐車場 二人で毛布にくるまって/カーラジオからスローバラード 
 夜露が窓をつつんで 悪い予感のかけらもないさ/
 あの娘のねごとを聞いたよ ほんとさ 確かに聞いたんだ》
《ぼくら夢を見たのさ とってもよく似た夢を》

小田和正なら、たぶん舞台は「海」で、「君の手を離さない」って歌いあげる曲だって誰かが言ってました。
尾崎豊なら「二人はまるで捨て猫みたい/この部屋は落葉に埋もれた空き箱みたい」って歌ってくれる場面なのかもしれません。
氷室京介なら、洒落たホテルの一室で「シーツのドレスにくるまって/今おまえはまどろみを続けてる」ところなのかも。
あるいは、あのころ友達の彼女から借りたビートルズやカーペンターズだったら、
「市営グランドの駐車場」の夜露を「love」の一言で甘く、優しく、くるんでくれていたはずです。

あの頃も僕らのまわりには、そんな歌があふれていたし、
それは何も悪いことじゃなかった。
でも、それらは僕と「同じ時代を生きてる」歌じゃなかった。

「市営グランドの駐車場」の夜露に包まれながら「とってもよく似た夢を」見てる、
「ほんとさ 確かに聞いたんだ」って確かめながら。
いってみれば、あの頃、僕らはそんな「時代」を生きていました。
そして、今でもずっとそんなふうに僕は生きています。

《電車は動きだした、豚どもを乗せて、ぼくを乗せて》
・・・「みんな」と同じ電車に揺られながら、死んでしまった友達のために30分だけ泣いて、遅刻して。
たぶん、そんなふうに、これからも。

だから、それをそのままに歌える、あなたが好きでした。
憧れや尊敬という言葉は、この気持ちには合っていない気がします。
あなたの歌が、僕は、好きです。

昔、ある雑誌でキヨシローさんは言ってましたね。
あの曲で歌われていた死んでしまった友達は、所謂ヒッピーなアウトローじゃなく、
「ひっぴぃ」ってアダ名の、言ってみれば「ひとのいいサラリーマン」だったって。
あの話を聴いてから、僕はますます、あの曲が好きになったのです。

だから、ニュースを見ながら、
あなたに贈られた「反骨の人」というコメントに言いようがない違和感を感じています。
ルージュマジックのキスも、タイマーズで起こした様々な騒動も、反原発も、あるいは「君が代」騒動のときも、
僕らは、そこに「反骨」や、ロック・アーティストのプロテストを見ていたんでしょうか。
それはカート・コバーンのような屈折や、坂本龍一的なインテリジェンスからも遠く離れていて、
まるで、いつまでたっても高校生の「キヨシ君」の声を聞いているように僕は感じていました。

あなたはいつまでもキヨシ君のまま、真っ白な灰になってしまうまで生きぬいたのでしょう。
僕にはそんなふうに見えています。
だから尚更、天国にいるあなたの姿を想像してしまうのは、とっても奇妙なことだって自分でも思います。
でも、どこかバツが悪そうに、でも楽しそうに笑っているキヨシローさんの姿を僕は想像してしまいます。

日隅くんに「あんときは、ごめんね」って照れ笑いしたあと、自転車を一緒に二人乗りしていたり、
頭をかきながら、オーティス・レディングやジョン・レノンと一緒にギターを弾いていたり。

もちろん、天国なんてありません。
でも、天国はたしかにあるんだと、永遠ってのは本当にあるんだと
僕は思っています。

喪の作業という言葉があります。
天国という場所は、同じように、残された人たちのためにある
「想い出の置き場所」につけられた名前だと思います。
出来事が残した、さまざまな「species aeternitatis」たちの空間。
いつまでたっても消えない残響のようなもの。

キヨシローさん、
これからも僕は、あなたの残した残響のなかで生きていこうと思っています。
あなたの歌と出会えて、本当にラッキーでした。
ありがとう。

【記録グラフ】
コメント
maruomaru 2009/05/03 22:37
昨夜ニュースで知ってから、私もとても寂しい思いをしています。
中学の頃、キヨシローの熱狂的なファンが友達にいましたが、当時の私は未熟すぎて
全然分からなかった。大人になって、更にしばらくして、彼の曲というよりもそれ以上に
子供みたいに無邪気で茶目っ気たっぷりの「不思議なおじさん」ぶりに憧れました。
日本に数少ない本物のロックンローラーがいなくなってしまいました。寂しいです。

 わかりもん 2009/05/04 00:43
コメントありがとうございます。僕も熱狂的なファンではなかったので、忌野さんのニュースに「衝撃」は感じなかったのですが、夕方一人になったとき、ふっと不思議な寂しさを感じました。ちょうど「ずっと気になっていながらも、話しかけることができなかった隣のクラスの子」が、知らないうちに転校してしまったときのような、そんな感覚です。考えてみると、あれほど不思議な人もいないけれど、あれほど等身大の姿が勇気を与えてくれたアーティストも、そうはいません。だから、同じような寂しさを感じている人は、きっと沢山いるんだろうなって思います。marumaruさんのコメントを読んで、そのことを思うと、気持ちが少し癒されました。
それと、この前は返信することができなくて、ごめんなさい。ずっと心にひっかかってました。じつは僕はメールでも、ここと同じような文章のアクが出てしまうことがあって、友人の間では「遅い」「長い」「独り言が多すぎる」等々、散々な言われようです。ちょうど前にコメントをいただいた前後も、親しい人からキツイ一言をもらったり、自分の思っていることが伝わらなかったり。せっかく勿体ないような言葉を頂戴したのに、素直になれずに、逆に色々考えこんでしまう有様でした。ごめんなさい。でも、いただいたコメント、そのときも、とても励みになりました。
余談ながら、今は同じ人から「実際よりメールの方が素直で、いい人になってる」と言われ、逆の意味で考えこんでしまう日々が続いています。(^_^;)
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