わかりもんさん
最新の記録ノート
|
2009年 |
|
|
5月 |
|
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
|
|
|
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
|
|
|
|
|
|
月別に見る
タグ別に見る
|
09年05月03日(日)
ヒッピーに捧ぐ |
< 懐疑的に語られた夢
| 記録再開。目標は・... >
|
|
キヨシローさん、おつかれさまでした。 ずっとあなたの「ライブ」を見ていたかったけれど、 ステージの上でも、ステージをおりた後も、 あなたはきっと最後まで汗だくで歌っていたのだと思っています。 だから今はこの言葉しか浮かびません。 おつかれさま。そして、ありがとう。
いつか見たライブの映像。 「キヨシロー、俺たち、お前と同じ時代に生きててホント、ラッキーでした」って、 チャボさんが、そんなことを言っていたのを思い出します。 僕も、いま同じ気持ちです。
もちろん、僕はRC世代ではありません。
僕にとって、リアルタイムの忌野清志郎は 奇妙にテレビという空間が似合ってしまっている「不思議なおじさん」でしかありませんでした。 まわりにRCを聴いてる奴なんて、いませんでした。 キヨシローさんは、まるで「僕の好きな先生」の先生のように、そこにいたのです。
だから尚更、高校のとき聴いた『シングルマン』は衝撃でした。 「同じ時代に生きている」歌を見つけた。そんな気がしました。 ROCKやBANDという言葉が連想させる「カッコ良さ」も、 Jポップの口当たりの良さも、そこにはありませんでした。
《市営グランドの駐車場 二人で毛布にくるまって/カーラジオからスローバラード 夜露が窓をつつんで 悪い予感のかけらもないさ/ あの娘のねごとを聞いたよ ほんとさ 確かに聞いたんだ》 《ぼくら夢を見たのさ とってもよく似た夢を》
小田和正なら、たぶん舞台は「海」で、「君の手を離さない」って歌いあげる曲だって誰かが言ってました。 尾崎豊なら「二人はまるで捨て猫みたい/この部屋は落葉に埋もれた空き箱みたい」って歌ってくれる場面なのかもしれません。 氷室京介なら、洒落たホテルの一室で「シーツのドレスにくるまって/今おまえはまどろみを続けてる」ところなのかも。 あるいは、あのころ友達の彼女から借りたビートルズやカーペンターズだったら、 「市営グランドの駐車場」の夜露を「love」の一言で甘く、優しく、くるんでくれていたはずです。
あの頃も僕らのまわりには、そんな歌があふれていたし、 それは何も悪いことじゃなかった。 でも、それらは僕と「同じ時代を生きてる」歌じゃなかった。
「市営グランドの駐車場」の夜露に包まれながら「とってもよく似た夢を」見てる、 「ほんとさ 確かに聞いたんだ」って確かめながら。 いってみれば、あの頃、僕らはそんな「時代」を生きていました。 そして、今でもずっとそんなふうに僕は生きています。
《電車は動きだした、豚どもを乗せて、ぼくを乗せて》 ・・・「みんな」と同じ電車に揺られながら、死んでしまった友達のために30分だけ泣いて、遅刻して。 たぶん、そんなふうに、これからも。
だから、それをそのままに歌える、あなたが好きでした。 憧れや尊敬という言葉は、この気持ちには合っていない気がします。 あなたの歌が、僕は、好きです。
昔、ある雑誌でキヨシローさんは言ってましたね。 あの曲で歌われていた死んでしまった友達は、所謂ヒッピーなアウトローじゃなく、 「ひっぴぃ」ってアダ名の、言ってみれば「ひとのいいサラリーマン」だったって。 あの話を聴いてから、僕はますます、あの曲が好きになったのです。
だから、ニュースを見ながら、 あなたに贈られた「反骨の人」というコメントに言いようがない違和感を感じています。 ルージュマジックのキスも、タイマーズで起こした様々な騒動も、反原発も、あるいは「君が代」騒動のときも、 僕らは、そこに「反骨」や、ロック・アーティストのプロテストを見ていたんでしょうか。 それはカート・コバーンのような屈折や、坂本龍一的なインテリジェンスからも遠く離れていて、 まるで、いつまでたっても高校生の「キヨシ君」の声を聞いているように僕は感じていました。
あなたはいつまでもキヨシ君のまま、真っ白な灰になってしまうまで生きぬいたのでしょう。 僕にはそんなふうに見えています。 だから尚更、天国にいるあなたの姿を想像してしまうのは、とっても奇妙なことだって自分でも思います。 でも、どこかバツが悪そうに、でも楽しそうに笑っているキヨシローさんの姿を僕は想像してしまいます。
日隅くんに「あんときは、ごめんね」って照れ笑いしたあと、自転車を一緒に二人乗りしていたり、 頭をかきながら、オーティス・レディングやジョン・レノンと一緒にギターを弾いていたり。
もちろん、天国なんてありません。 でも、天国はたしかにあるんだと、永遠ってのは本当にあるんだと 僕は思っています。
喪の作業という言葉があります。 天国という場所は、同じように、残された人たちのためにある 「想い出の置き場所」につけられた名前だと思います。 出来事が残した、さまざまな「species aeternitatis」たちの空間。 いつまでたっても消えない残響のようなもの。
キヨシローさん、 これからも僕は、あなたの残した残響のなかで生きていこうと思っています。 あなたの歌と出会えて、本当にラッキーでした。 ありがとう。
|
|
【記録グラフ】 |
|
コメントを書く
|
ページTOPへ戻る↑ |
|
|