久しぶりに大学時代の友人と会いました。【林鐘さんの健康管理カラダカラノート】

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11年01月22日(土)

久しぶりに大学時代の友人と会いました。

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数年ぶりに大学時代の友人と会いました(この前の友人とはまた別です)。
大学を卒業してから、一体いつから会っていないのかまったくあやふやになっています。
数か月会っていないくらいなら、つい最近会った気がするし、
数年単位で会っていなくても、ちょっと久しぶり、くらいの感覚なんですね。
今日会った友人とも、数年会っていないのに、数か月ぶりくらいの感覚で話ができました。

久しぶりに会う友人は、良い意味でまったく変わっていませんでした。
優しく、気遣いが出来、自由で、おもしろい。そして前向きです。
友人の近況は決して芳しいものではありませんでしたが、
彼女らはそういった悲壮感をまったく感じさせませんでした。

わたしから見れば、かなり切迫した状況に陥っている友人が、今日会った友人に限らずいます。
けれども、彼女らは悲壮感をまったく感じさせないのです。
もしかしたら、わたしの前では明るくふるまっているのかもしれない。
それでも、愚痴のひとつも、弱音のひとつも吐きたくなるところを、彼女らはそれをしない。

そういうところを、本当にすばらしいと、尊敬できると思うのです。
もちろん、彼女らはそんなに強くはないはずです。それでも明るくふるまう姿をすごいと思います。
彼女らより状況としては数段恵まれているわたしが、
つまらない日常のあれこれで、愚痴や弱音を吐くことを恥ずかしいと思います。

今日、彼女らと会って、話していて、気づいたことがあります。
それはわたしにとって認めるのは嫌なことですが。
わたしは以前より嫌な人間になっていました。
わたしのまわりに仕事のできない人がいて、その人を責め立てていたがゆえに(表立ってはしていませんが)、
どこか上から目線になっている自分がいたのです。
あからさまに、ではなく、ちょっとした言葉尻というか、なんとも形容しがたいのですが。

彼への批判を口にする分だけ、自分の心が荒んでいっているようなのですね。
批判をすることによって、ある人より上に立つ自分を当然のものとして受け止めているようなところがあるのでしょう。
変に、自意識が過剰になっているように感じました。
これは本当に良くない傾向です。

批判、否定の言葉を繰り返すことによって、自分の心理状態もそちらに引きずられます。
以前より、軽々しく批判、否定の言葉が浮かび、簡単に臨戦態勢になる。
感情の起伏も激しくなり、まわりの人への対応の仕方も変わってくる。
意識的に、批判、否定の言葉を封じ、自分の感情の揺れを自覚し、一呼吸おいて感情をなだめるように努める。
もう一度、きちんと、刺激と反応の間を意識し、自分で反応を選びとれるように努力します。

楽しい時間と、前向きになれる気持ちと、気づきをくれた彼女と会えた今日という一日に感謝します。
ありがとう。
そして、次また会えますように。今度は数年といわず、せめて一年以内に。

【記録グラフ】
労働拘束時間(通勤時間含)
0時間
労働拘束時間(通勤時間含)(時間) のグラフ
読書(冊)
0
読書(冊)() のグラフ
勉強時間
0時間
勉強時間(時間) のグラフ
起きた時間
6時間
起きた時間(時間) のグラフ
   
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