Ayako_kさん
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11年03月19日(土)
東北関東大震災八日目 |
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灯油は3/4缶あり。無事。 昨日から寝違えで、左の首筋と左肩が痛い。 昨日は整体でテープを貼ってもらった。 その後は寝た。よく眠れた。 なんでこんなに眠れるんだろうというくらい寝た。 まだ昨日ほどではないが少々痛む。
震災に関しては、こちらは救援・援助物資集め・避難受け入れ活動になってきた感じ。 あとはエネルギー節約生活など。
【追記】 肩の痛みがひかないので、また整体に行くため定時で帰った。 旦那は、会社の車のガソリンを節約したい、ということで送ってはくれなかった。 なので一旦帰宅し、自転車に乗る。 30分かけて行ってみたが、土曜日だったので午後休診だった。 ここは土曜は午後休診。休日は日曜・祝日。 というわけで、連休中は無理。火曜日からとなる。
職場では、職員ボランティア活動の募集と、救援物資の募集情報が回覧されていた。 休日シフトの夜間1日と、使っていない電気ストーブの貸与をすることにした。 また、職場では避難所へ除籍図書のプレゼントをする活動をしていた。 欲しい本がないか、避難所担当者に聞き取り、見繕い、届けるという活動。 できるところから、できることを、という、地に足の着いた救援活動になっているのを感じた。
◆印象に残ったニュース(Yahooニュース) 東日本大震災 3万人が県外避難 東北3県から続々と 毎日新聞 3月19日(土)20時54分配信
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島3県から県外に避難した被災者が3万人近くに上ることが毎日新聞の集計で分かった。全都道府県が避難者受け入れの準備を整えたことも判明。死者7653人となった戦後最悪の自然災害は、避難でも異例の事態を引き起こしている。19日は、東京電力福島第1原発がある福島県双葉町の住民約1200人が「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市中央区)に避難し、町役場の機能も移転した。
双葉町は避難指示対象の原発から半径20キロ圏内に全域が入る。この日の避難者は人口約6800人の約5分の1。井戸川克隆町長や全職員の約9割にあたる約80人も同行した。だが、避難所として使えるのは今月末まで。埼玉県は県立学校元校舎や民間賃貸住宅などの利用を検討する。
毎日新聞が各地の自治体に取材した結果、岩手、宮城、福島3県から受け入れた避難者は39都府県で計2万8032人に上る。このほか468世帯が避難しており、合わせると3万人近くになる。
最も多くの避難者を受け入れたのは新潟県で1万1694人。被災者たちは、体育館など74施設や民間宿泊施設に身を寄せている。避難先は青森から鹿児島県まで全国に及んでおり、東北や関東の自治体は体育館など公営施設を用意し、そのほかは空いている公営住宅などを準備した。
今後の受け入れ準備も進む。秋田県は2万4000人、山形県は2万9000人、神奈川県は最終的に6万5000人を受け入れるなど、全都道府県が取り組む姿勢を見せた。
ただし、原発事故沈静化の見通しが立たず、被災地復興にも時間がかかることから避難先での被災者のケアや住宅探しなどが今後の課題になりそうだ。
19日は福島県南相馬市と飯舘村の住民計約1070人も新潟、栃木の両県の避難所に入った。原発から30キロ圏で屋内退避指示が出ている地域の住民を対象に、国と県が希望者を対象に実施している県外退避支援計画に基づく最初の例となった。 (以上Yahooニュースより)
町役場の機能が移転した、というのが印象に残った。福島県双葉町は、福島原発のある地域であり、当面そこで暮らすことができない。当面どころかひょっとすると半永久的にその地を後にしなければならないかもしれない。 それらを総合した判断だろうと思われる。決断とすら言える。英断であろう。 それだけに、痛々しい。 自分の住む自治体が、まるごと他県に移る。そのつらさは想像を絶する。 自分個人が悲惨な目にあっても、故郷がある、風土がある、生まれ育った山河や、そこで暮らす人たちがいる、と思えば少しは救われる気持ちがあったり、落ち着きもできよう。 しかしそれが、無くなってしまったのだ。 いや、物理的に存在はしているが、もう住めない死地となってしまったのである。 年齢が上の人ほど、本当につらいことだろう。 でも、生きているのだから、希望を持って欲しいと思う。 無くしてしまった故郷を思い、たくさんたくさん泣いたら、明日のことを考えて欲しいと思う。
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