国共内戦【tonarinekoさんの健康管理カラダカラノート】

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13年10月11日(金)

国共内戦

< ソニックブーム  | 金の精練と水銀 >
中華民国政府を率いる国民党軍と、共産党軍による内戦。
1937年からの日中戦争は日本を共通の敵として戦ったが、日本敗戦後は対立が再燃、46年6月に本格的な戦闘に入った。

当初は国民党が有利だった。兵力は共産党軍120万人に対し、430万人。
後の冷戦時代とは違い、ソ連も45年8月の中ソ友好同盟条約で国民政府を支持していた。
47年6月には共産党の拠点の延安が陥落した。
だが、共産党は東北部(旧満州)から攻勢に転じ、48年9月以降の3大戦役を勝ち抜いた。

(1)遼瀋戦役(遼寧省瀋陽を中心にした東北部の決戦)(2)淮海戦役(徐州を中心とする中原の決戦)(3)平津戦役(当時は北平と呼ばれた北京と天津の決戦)である。
49年1月には北京が無血開城され、国民党の蒋介石総統は下野。
首都の南京も陥落し、10月には毛沢東が北京で中華人民共和国の樹立を宣言した。

台湾に逃れた蒋介石は50年3月、総統に復活して中華民国を存続させたが、大陸の支配権は失った。
国民党はなぜ敗れたか。楊奎松・北京大教授は「蒋介石の戦略的過失」をあげる。

「国際社会は国民政府を中央政府として認めていたのだから、それを平和的に利用すれば大陸を失うこともなかった」という。
戦争になれば簡単に勝てると過信していたが、8年間の日中戦争で将兵は疲れ、
庶民は国民政府の腐敗やインフレに憤り、農民に土地を解放する共産党の支持が広がっていた。
日本軍が残した武器をソ連がひそかに共産党軍に流していたことも大きかった。

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