halibmさん
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14年10月29日(水)
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昨日は楽しい1日だったが疲れた。そのせいか良く眠れた。今日は10時に槌ヶ原。その前に長崎の墓へ幸子と参る。義母は既に自分の墓を義父の墓に並べて建ててあった。今日も天気が良い。墓地から東を望む景色は懐かしい。少し散策して帰る。10時前、英さんに幸子と二人で槌ヶ原まで送ってもらう。今日は、槌ケ原の墓参りを終えてから帰宅する予定で、昼過ぎに宇籐木へ帰る予定だった。しかし、話が弾み2時近くになってしまった。本家の墓は英夫が、新家、新宅の墓から北側へ移してあり、そこには三代次、貴志子の墓とその横に墓地の枠石が敷かれている。これは既に知っているが、新宅、新家を含む三宅一統の墓地を永らく参っていない。行ってみて驚いた。敷地の下手約半分が無くなっており、古い墓石が10個程寄せ集められてあった。清掃も不十分。悲しくなる。ただ一つ嬉しいことに、新しい克己伯父の墓石の家紋が児島高徳の「児」なっている。伯父が手書きした家系の書にあった「児」の字を、10年以上前にわしがパソコンで仕上げたコピーを銀行に渡したことがある。それを彼は使ってくれていたのだ。我が家の墓石の家紋と同じである。実にうれしい。英夫宅の墓も同じであればもっと良かったかも知れない。残念ながら時期がずれた。銀行に会って帰ればよかったと思う。下りは新家の前に降りて帰ったが、目に入る家々や風景が実の懐かしい。高校3年の時下宿した家の離れの窓を指さし、当時のことを話すと3人とも驚いていた。英夫の家も庭も手が入れられているが、当時のままの木々や建屋が部分的に残っている。昼過ぎに戻り正式に「昼食」。恭子が、墓参り前後に沢山の馳走を振舞ってくれ腹一杯になっている上の昼食である。参った!しかも、帰りには、餅や豆、菓子等を持たせてくれた。嬉しい事である。ただ博光に会えなかったのは残念。 英夫に宇籐木まで送ってもらい、休む間もなく帰りの準備。義母、晴美さんに礼を述べ、英さんに茶屋町まで送ってもらう。帰りに大元の駅から豊曜美のアパートが見えた。幸子に教える。 帰りは順調。明るい中に家に着く。5時15分。良い旅行になった。 07:10 126/68<77>
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