Ayako_kさん
最新の記録ノート
|
2019年 |
|
|
3月 |
|
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
|
|
|
|
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
31 |
|
|
|
|
|
|
月別に見る
タグ別に見る
|
19年03月29日(金)
金 ストレス |
< 木 図書館で返して...
| no title >
|
ホンジュラス テグシガルパ 最高気温 27℃ 最低気温 14℃ 降水確率 01%
【朝】 5時半に目が覚める。 昨日のツィッターで回っていた言葉。 「8時間寝ろ。週3で運動しろ。食生活を見直せ。何かに熱中しろ。」 昨夜から今朝にかけて寝たのは6時間。 ただ、途中中途覚醒も早朝すぎる起床もなく、穏やかに熟睡できた。
【送別会】 (Twitterより引用) Testosterone@badassceo 3月28日 「批判は成功の証」 「批判は全て嫉妬」 「批判は賞賛に変わる」 「批判されてる側が主役」 都合の良すぎる考え方だと思うかい?それでいいんだよ。生きてりゃ自分で自分を誤魔化してでも前に進まなきゃいけない時があるだろ?そういう時は全てを自分の都合の良いように捉えてとにかく前進するんだよ。 (引用終わり)
また、例の係長A氏 4月1日から主査になる。 私「お子さんは何歳ですか?」 A「2番目の子がそろそろ年長で、なんでも嫌嫌言うんですよ。イヤイヤ期ですね」 私「明日からもう、A主査とお呼びしなければなりませんね!」 A「いやいや、4月1日からだから……!ところで綾子さんも、いずれ主査となるので、部下のことを色々指導したり仕事を采配したりしていって、欲しいと、思うんですよね」 私「いやいやいや、私そんな、主査になんてなりませんから」 A「いやいやいや」 私「イヤイヤ期なんで!」 A「うまいこと言った!」
一見、穏やかな会話のように見える。 しかし、かつてA氏の係に在席していた頃、A氏のこの何気ない言葉に、私は真綿で首を常に締め続けられるような圧迫感で苦しめられていた。 背中や腰の痛みが止まらないという身体症状のうちの3割くらいは、このA氏の言葉に苦しめられたものだと思っている。 これはつまり、逆パラハラだ。 公務の世界は、課長補佐クラスにならないと、昇進が特別昇給(棒給表の級が「4級」から「5級」になって給与上昇ペースが変わる)には繋がらない。 つまり、係長、主査は、仕事の苦労ばかり多くて、給料はそのまま普通の昇給だけ、ということになる。 係長、など「長」クラスになると、当然ながら、自分の仕事をやりつつも、部下の仕事の采配や、業務の段取り、計画などの面倒を見なければならなくなってくる。
私は、A氏の在席する係で、「主任」から「専門員」に肩書が変わった。 その時、A氏からさんざん言われたのが「あなたはこの係で№2になったのだから、仕事の段取りとか部下の扱いとか、もっと計画を立てたり、面倒を見たりして欲しい」だった。 何回も、折に触れ、言われた。
私には、できなかった。
それが、プレッシャーになり、普通の自分の仕事も段取り良くできなくなっていった。
やがて、そのプレッシャーが背中や腰の痛みとなって身体を蝕み、もう通勤ができなくなった。
くやしさ、不甲斐なさ、つらさ、恨み、無力感、将来の不安。
オリンピックの安室奈美恵の歌を、部屋で寝転がりながら聞いていた。 あの頃は、それ以外何もできなかった。 だから、あの「HERO」という歌を聞くと、こんなに勇気を鼓舞するような爽やかな歌を聞きながらも、何もできずに部屋の薄いじゅうたんの上にあおむけになっていることしかできなかった自分の無力感や、あの頃のつらい気持ちを条件反射で思い出してしまう。
これは、私の弱点なのだろう。
でも、弱点があったとしても、通常の仕事の、難しくないことなら落ち着いて行えるのだ。
しかし、これがA氏の、本音なのだろう。
(まだ40代の自分だけが、主査などという重い職責になって、苦しみ続けるのは割に合わない) (なんでこの人は、自分より年上なのに肩書が低くて、自分のことばかりやっていられる簡単な仕事ばかりやってて給料はそれなりなんだろう) (もっと自分のように、給料相当に難しい仕事をして、俺と同じように苦しめ)
つまりこれは、「相手の昇進を願うふりをしているパワハラ」だ。
年齢なんて、関係ない。
できないことは、できない。
それでも、やれることは、沢山ある。
職場に復帰する時に不定期に受けた産業医や職員課の職員との面談の中で繰り返し言われたのは 「あなたは、組織に必要とされている人財です」 「やれることが沢山あるし、無理をして欲しくはない」 「楽しいことをやりながら、前向きに生きていって欲しい」
組織の中で、年齢相応に難しい仕事(ソフトウェアのシステム管理、業務の進行計画、事務の分掌、他人を含めた事務の段取りの采配などなど)をこなしていって欲しいという期待感、それがあるのは当然だ。
だが私は、A氏のそういった言葉で壊れていった。
A氏にしてみれば、周りの期待感を言葉にしていっただけなのだろう。
しかし、人間には「個人の能力の差」というものがある。
年齢が上がったからと言って、できないものはできないのだ。
ましてや、こなしきれない、増え続ける業務を抱えながらという、余裕のない状況だった。
「運が悪かったんだな」と、課長はねぎらってくれた。
A氏の係は、A氏と年齢の近い人が、ここ3年ほどくるくると毎年「1年」異動となっている。 主事、主任級は、そのまま据え置きだ。 これはつまり、A氏が専門員級以上の同じ係の同僚に、私と同じような言葉のプレッシャーをかけた結果として、皆が「異動願い」を提出して逃げ出していくということを繰り返しているのではないかとも思われる。 そして、かつてその係を経験した人が、再びその係に行くということもない。 いわばもう、毒親ならぬ毒係になっているのかもしれない。 業務も毒だし、A氏も毒だ。 ただ、毒ではあるが、悪ではない。 この仕事自体が毒なのか、この仕事の過酷さをA氏が引き受けていく過程で「タタリ神」となったのか。それは分からない。
そもそも、私がその係に配属になったのも、平成27年度にはじめ配属になっていたY君が、就任一カ月にして精神変調を引き起こし、課長に直談判して係の変更を嘆願した、というところから始まっている。 当時の課長は、その時のY君の様子をこう言っていた。 「他の仕事なら問題なくこなせるのですが、自分が悔しくてなりません、と、涙を流しながら訴えて来た」と。 私は、1年半耐えた。その結果として、短期間で配属変更を直訴したY君以上に、組織と自分の身体に大損害を与える結果となってしまった。 いわば、「幸せなら態度で示そうよ」ではなく、「不幸なら身体症状で示そうよ」になってしまったのだ。
職員課としては、これら「結果」を見た末、おそらくエンマ帳に、「A氏の係に年齢の近い同僚を置く場合、毎年異動させること」と特異ローテーションが組まれたのではないだろうか。それ以上置いておくと、私のように休職せざるを得ない者があらわれて、人件費のロスを招くと。
休職者が出た場合、休職が何カ月になるのかは、医師の診断書を元に判定される。 一カ月以上の休職を要する場合は、臨時職員が雇用される。 休職が延期されるためには、その都度医師の診断書が必要で、それを元に臨時職員の雇用が延期される。 私はそれを、平成28年9月27日から平成29年5月21日まで繰り返した。 つまり、役8カ月、行政機関は私と臨時職員2人に、それぞれの給料を重複して支払い続けなければならなくなったのだ。 そんなロスをする位だったら、そのポジションの人を毎年交代させて、疲れ切る前に脱出させて、また別のイケニエ(まだそこの席に座ったことのない人)を入れてくるほうを選択するほうが、人件費のロスが防げる。(身もふたもない言い方にはなるが……)
この間の労働組合主催の退職者送別会(今回のは自分の課の同じ業務の部署の送別会)で、今度組合専従になるM君に、「もう自分は異動になるので、ずっと前に言いかけていたナイショの事柄、教えてくれませんか?」と聞かれ、「私の平成27年の5月の係変更の本当の理由は、同じ班に女性が2人いるのでは保安上心配だから、というものではなく、Y君があの係にもういられないと課長に直訴した結果、取り換えられたのだ」と伝えると、M君は「それは皆、うすうすそうだろうと思っていましたよ」との答えだった。
私が、責任ある立場になることは、おそらくない。
A氏の「もう専門員になったのだから、仕事の計画を立てたり、部下の面倒を見たりして欲しい」という言葉を、毎日夜中までかかるノルマの中で言われ続けて苦しめられて、病気になったのだから。
それは、それをやれる人が、やったら良いだけのことだ。
じゃあ私は、使えない人間のクズなのか?
補助的業務なら、やれますよ。
体調を崩して休む日もありますが、与えられた有休日数の範囲内ですよ。
クビにするんですか? どういう法的根拠で解雇するんですか?
運転違反はしていません。ペーパードライバーですから。
そんな感じ。
私のいる部署は、本来外に出かけていって、新築の家屋を評価する仕事だ。
小学校区で6つに班を分け、そこに小学校区よりも遠い地域も付加している班編成。
田舎だし、広範囲なので、当然ながら車を運転して現地に行くことになる。ペーパードライバーで方向音痴の私が最も苦手とする分野だ。
そして、ここ毎年、人員が1人ずつ削減されている。
(人口同規模の他市町村の職員数まで減らせる筈、という論法らしい。面積のことや移動距離のことは無視されている)
そんな中、班の編成が今年も決まった。
ここで、班の中に入らない人が2人いる。
私と、E主査だ。どちらも、小さくない病気で長期休職をした職員。
E主査は、視力もかなり落ちている。
私などが5メートル先からも読めるくらい、パソコンの文字を大きくして読んでいる。
おそらくは、公務の世界での人員配置として、「業務采配に配慮を要する職員」というのがあり、専門用語化しているのかもしれない。
それは、「何でもやらせる、普通の職員」ではなくて、「その人がやれる範囲の内容を、法定勤務時間内でやれる範囲の業務量だけやってもらう」という配慮を要する職員、ということになってくるのではないかと思う。 嘱託職員のS君は、身体の半分が麻痺している。身体症状として難しいこと、無理なことは避けて、やれることをやってもらっている。 私やE主査も、「やれることをやってもらっている」の側ということだろう。
みんな、知能は正常だし社会認知も普通なので、その位は分かる。 仕事に就かせてもらっていることを感謝しつつ、日々を送っている。
A氏の、酔った勢いの何気ない言葉で、かつての転落の日々を思い出してしまったが、要は、この【送別会】の章の初めに引用した「批判も自分の都合の良いように胡麻化して、とにかく前に進め」という言葉を参照しようという訳です。 「綾子さんもいずれ昇進するんだから」というA氏の一見褒めているような言葉は、「今のあなたは楽(らく)をしすぎだ」という「批判」の言葉として私は受け止めた。 でも、あなたが市長になれないように、私にだってやれない仕事があるのです。(当市の市長は現在45歳) あなたが私に「やれるはずだ、やれるはずだ」と言って、私がストレスで身体を壊したのは知っているでしょう? だから、今の仕事を、大事にします。 だからもう、「昇進するはずだ」とか「部下のことを」とか、おっしゃらないでくださいね? 別に私は、肩書なんて「主任」に戻してもらったっていいんです。その位の仕事しかしてないですからね。給料も変わらないですし。 でも、やれることはやっているつもりですよ。
本人を前にしては言えないし、言ったところで場の空気が悪くなって、ウワサ好きのMちゃん(女性)あたりに語り伝えられてしまうばかりなので、ここでだけこうやって吠えておきます。
それに、私はあの「毒」の係を卒業したのだから、私の気が済めばそれで良いことなのです。
そして、前に進みます。
|
【記録グラフ】 |
|
コメントを書く
|
ページTOPへ戻る↑ |
|
|