tomytomyさん
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11年03月28日(月)
どうしたら笑ってもらえるか |
< 友達 ~Tomod...
| 送別会 >
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25日の日記にも書いたが、今、「日本一心を揺るがす新聞の社説」という本を読んでいる。
その著の中で「どうしたら笑ってくれるか考える」という社説があった。
昭和の名人と言われた五代目・古今亭志ん生と六代目・三遊亭円生が若い時に 体験した話(舞台にもなっているらしい)が紹介されている。
戦時中、関東軍の慰問で中国に渡った二人は、そこで敗戦となり ソ連軍の侵攻から命からがら逃げまどい、カトリックのシスターたちが 戦争難民に炊き出しの奉仕活動をしている教会にたどり着いた。
世間離れしているシスターたちは噺家やお笑いのことなど知らない。
「生きることは苦しみそのもの。元々笑いなんてこの世には備わっていません」 というシスターたちに2人は語る。
「この世にないなら作るんだ。俺たちは笑いを作る仕事をしているんだ」
「落語はね、貧乏を楽しい貧乏に変えちゃうんだ。悲しさを素敵な悲しさに 変えちゃうんだ」(円生)
「俺なんか葬式でも洒落を言っちゃうよ。薄化粧している色っぽい後家さんを 見て、『後家さんもいいもんだな。うちの女房も早いとこ後家さんにしよう』とかね」(志ん生)
それから落語のネタを披露すると冷静沈着だったシスターたちが笑い転げる。
退去命令が出て、難民を見捨てて、その地を去ろうとしていたシスターたちの心に 不思議なことに希望と勇気がわいてきた。
「ここに残りましょう。最後の一人まで難民を助けましょう」と。
社説では、「たかがお笑い」と笑ってはいけない。ユーモアやウィットに富んだ話には 人生を豊かにしたり、心を明るくする力がある....と書いてある。
まさにその通り。一生笑える渾身のギャグ探しに気合が入ったよ。
まずは平成も23年になり、私はもう、平成時代の方が長く過ごしていることになる。
昭和仕込みのサムイ笑いからの脱却を図るぜ。若い奴にギャグ飛ばしても苦笑されないために。
社説の最後の一行... 「いかに相手を笑わせるかを考えよう。くれぐれも人様から笑われないように!」 だって。ガチョーーーン(←やっぱり昭和)
(昨日の運動)トレッドミル 6km 万歩計 3.3km
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