さわやか?万ちゃんさん
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17年10月28日(土)
万ちゃん日記 (293)【要塞(Fort)、植民地】〜今回(今年)こそリバウンドしない! |
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【昨日&今日起床時の感想】 (今日起床時の体重/体脂肪率/腹囲/昨日の運動 = 61.9kg/16.6%/72.0cm/ジム&ランニング)
○ 昨夕は、第四?の故郷@東南アジアで駐在を共にした後輩2人と会食。 かつて自分が働いた第三?の故郷で、今は彼らが駐在。 再会の嬉しさと両地の話題で、自ずと盛り上がる。 一次会は、前日に続き日本人ビルで、別の懐かしの居酒屋。 大皿料理がこれ美味しい。 二次会は「夜総会」でチョット派手に歌い踊り、三次会はまた馴染みの日系バーでシッポリと総括。
○ となると、本日起床後の体重はレッドラインまで超えてしまう結果。 わかっちゃいたが、少し想定外のラインオーバー。 一方で、体脂肪率が下がっているのが、せめてもの救い。 帰国後、どうリカバリーして、バランスさせていくか、、、、 今日の夜行便で、この懐かしい、第三?の故郷を離れる。 空港に行く前に、これも馴染みの寿司屋で、最後の夕食予定。
☆ 前日(一昨日)から、ホテルを移っている。 同じく市内中心部で、小高い丘陵にある。
ここは、第二次世界大戦前、イギリスの『植民地』であった時に、軍の作戦司令部や大砲など『要塞(Fort)』があった場所。 当地が「マラヤ」と言われていた時代。
当時の「作戦司令部(Battle Box)」や、大砲・砲台、門(「Fort Gate」)、要塞壁の一部、など、当時を忍ばせる跡がいくつかある。 今は、遊歩道も整備され、大都会のど真ん中、木々が生い繁げ静かな、大きな公園。 その中にコロニアルなホテル、記念館もある。
この「作戦司令部」は、1942年に日本軍が進攻した際、イギリス軍が当地からの撤退を決めた場所。 つまり、イギリスのマレー半島での『植民地』時代が終わった、象徴的なところ。
その後約3年間は、日本が支配した時期。 この島は「昭南島」と呼ばれていた。 終戦後、中国や韓国と比べると、この「都市国家」では、表立って大きな「反日」運動が繰り広げられたり、それが今でも続いていることはない。
この「都市国家」は、その後1965年にマラヤ連邦から追い出される様な形で独立、成立。 独立・建国の父(初代首相)を中心に、必死で”サバイバル”の努力が続いた。 資源も無いこの小さな国は、外国資本や外国企業の誘致、国際貿易や人材交流の要衝(ハブ)となること、が生命線。 自ずと、技術や資本導入で、日本も頼りにする必要があった。
一方で、一部では、終戦まで3年間の日本支配を、”暗黒”の時代、表する向きもある。 実は、この国の幾つかの目立たない所で、日本支配時代の”暗黒”を示唆し、さりげなく展示・遺している場所がある。 この『要塞(Fort)』もそう、他の遺構では、東端の「刑務所」跡、カジノもあるリゾート小島内の「ろう人形館」や別の「要塞」跡、等々、、、、
当地に住んでいる日本人でも、案外そうした話や、遺構の存在、を知らない人が多い。 自分は、居住していた時の後半、偶然にも、これら遺構を訪れる機会があった。 当国の歴史教科書には、約3年間の日本支配のことも、しっかり書かれている。 又、これら遺構は、現地の方や、欧米からの観光客・居住者が訪れることの方が多い。
《今日の食事の見込み》 【朝ごはん】 なし 【昼ごはん】 キットカット 【晩ごはん】 ビール1杯、焼酎3杯、刺身、焼魚、寿司 【夜食】ワイン2杯、焼酎1杯、日本酒1合
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