TK66さん
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20年01月15日(水)
父急逝 |
< 明日の予定
| 葬儀の準備 >
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1月13日、休み前の夜、隊長から登山のお誘いがあったが、翌日は親父を病院に連れて行くのでとLINEで お断りのメッセを打っている最中、母から電話があった。 親父の様子がおかしい。とても苦しんでいるということなので、すぐに救急車を呼ぶように言った。
ヨメサンと慌てて車に乗り込んで、再び携帯に電話すると 実家の隣の奥さんが出てきて、今救急隊員が来て処置しているけど、もう心臓が止まっていると言っていた。電話の向こうで母が「お父さん!お父さん!」と呼び掛ける声が聞こえる。救急隊員に代わってもらい、搬送先は明日行く予定だったK病院にお願いしたところ、何処になるかわからないが決まり次第すぐ連絡を入れるということで、我々はとにかく実家に走った。
途中で救急隊員から電話があり、K病院は主治医不在の為受け入れ拒否され、B病院に搬送されたということ。同じように車を走らせている弟夫婦に連絡を入れた。
B病院に着き救急処置室に入ると、今まさに処置を受けていた親父が口を半開きにして寝かされていた。心肺停止して40分以上経過 。ピッピッと聞こえるのはペースメーカーの音。心臓は止まったまま。一度動き出したので、そのままマッサージを続けるか聞かれたが、もし戻ったとしても重大な障害が残った状態になる確率が高いとのこと。最後は母の判断で処置を終了。弟夫婦が到着する のを待って、死亡確認。午後10時16分だった。
死亡診断書を書いて貰うのは入院中のK病院でなければならないが、担当医と連絡がつかないので、このままだと警察が遺体を検死し 自宅を捜査するとのこと。 しばらく家族 待合室で待っているとK病院の主治医から連絡があったので 車2台でK病院に向かった。
親父を乗せたワゴン車は一足早く到着していて、主治医の説明を聴く。今回の一時外出以前から心肺が弱っていたこと。本当の死因は誤飲 などいろいろあるのだけれど、それはもっと詳しく調べないとわからないので、死因は急性の心筋梗塞ということになった。1月14日0時55分だった。そこから遺体をしばらく前に入っていた個室に移し、葬儀屋が来るまで待機する。
母の話だと、親父は夕食は八宝菜とご飯を半分、ミカンを食べてしばらく寝室で寝ていたが、リビングのソファーで母に湿布を貼らしていると貼り方が悪いと激しく怒るので、「そんなことで明日から病院でどうするの」と説教していたら急に苦しみ出したということだった。最後の会話が喧嘩だったこと。何故優しくしてやれなかったのかと母は悔やんでいた。
葬儀屋のワゴン車が到着したのは午前3時。直接遺体を葬儀会場施設に移すか、一旦自宅に置くか聞かれた。あれだけ医者の言うことに逆らって帰ろうとした、親父の好きな自分の家だ。きっと帰りたがっているのに違いないだろう。
病院から実家までは15分ぐらい。遺体が仏間に移されたのは午前4時半頃。実家にはわたしが泊まることになったが、母もわたしもほとんど 眠れなく朝を迎えた。
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